MIMIGURI安斎勇樹さんと、創造性研究の第一人者でMIMIGURIシニアリサーチフェローに就任した岡田猛さんの対談シリーズ「おとな創造性Q&A」。創造性をめぐるさまざまな「お悩み」を起点にしながら、ビジネス×アカデミアの知見をお二人にぶつけていただきます。第7回のテーマは「AIと創造性」。
【今回のお悩み】
“そこそこのもの”ならAIで一瞬でつくれてしまう時代。
いまさらふつうの人が創造性を磨く意味なんてありますか?
岡田猛(以下、岡田):ちょっとしたイラストなんかが必要なとき、昔はプロのイラストレーターに頼んでいたわけですが、いまだとお金も時間もかけずにすぐイラストをAIにつくってもらえますよね。しかも、ほとんどのお客さんはそれで満足している。まさに「そこそこのもの」ならAIで一瞬でつくれてしまう時代だと思います。
一方で、そうしたものを出力できるAIが創造的だと言えるかというと、そんなことはないと思います。AIについてそこまで詳しいわけではないので、専門家の人から怒られるかもしれませんが、AIがやっていることってすごく単純だと思っていて。要するに、なんらかのプロンプトが与えられたときに、学習済みデータのなかから引っかかってくる確率の高いものを組み合わせて、文章なり画像なりを出力しているわけですよね。
これはAIがそのようにつくられているから、そうしているだけです。つまり、AIのプロセスそのものが創造的なわけではなくて、そこで出力された結果を人間の側が「すごい! 創造的だ!」と騒いでいるにすぎない。
ここで問題になるのは、創造性を「プロセス」と捉えるか「プロダクト」と捉えるかという話です。[以前の記事]でもお伝えしたとおり、創造性には「心理的創造性(Psychological Creativity)」のように、本人にとってワクワクするものが見つかってきたり、何か新しい「パースペクティブ(Perspective)」にシフトしたりする「プロセス」の側面があります。
人間にとって本質的なのは、こういうプロセスとしての創造性なんですよね。だから、べつに「人類初の大発明」だけが創造的なわけではない。ふつうの人にとっては、「自分の視野が広がってワクワクできた」とか「人生で行き詰まったときにちょっと違う見方ができた」とか「仲間と一緒に考えたら、難しい問題の解き方が見つかった」というような経験のほうが大事なんです。
そう考えると、AIがどれだけすごいプロダクトを生み出せるようになろうと、人間から「創造する意味」が奪われることはないのかなと思いますね。
安斎勇樹(以下、安斎):すごく本質的なお話で、めちゃくちゃ共感しますね。一方で、ぼく自身の感覚としては、今のところはAIのおかげで「そこそこの創作」どころか、「ゴミのような創作」が増えているだけではないかという気もしているんです。たとえば、文章が一瞬で生成できるようになったせいで、読む価値ゼロのブログ記事が量産されているという現状があります。
あと、これはある経営者から聞いた地獄のような笑い話なのですが、Aさんが社内向けの文書をAIで作成し、受け取ったBさんがそれをAIに読ませて、返信をつくってもらっているということが起きているそうです。それで話が噛み合っているならまだいいですが、そのやり取りを傍から見ていると、とんでもないコミュニケーションが飛び交ったりしていると。
要するに、AIが登場したことで、一時的に「アウトプットに対する品質管理」がバグった状況が生まれているんです。もちろん目下のAIの精度も関係しているのかもしれませんが、この問題はそれだけでは解決しないのではないかとも思っていて。
やっぱり創作において決定的に重要なのは、「これならいける!」とか「納得のいくものができた!」というような作り手自身の「評価」だと思うんですよね。AIはたしかにいくらでもアイデアを出力してくれるわけですが、そのときに「どれもいけてないな」とか「これは可能性がありそうかも」という判断を下すのは人間です。
舌がバカだとおいしい料理がつくれないのと同じで、いいアイデアを生み出すためには、いいアイデアを見抜けないといけない。そして、そのための審美眼とか目利きの部分は、やはり人間が自分で創作し続けたり、つくったものに関与し続けたりしないかぎり、磨かれないんじゃないかなと思っています。
岡田:そのとおりだと思いますね。だから、AIでつくったものを「最終プロダクト」だと考えてはいけない。それは単なる「きっかけ」にすぎないんです。
逆に、そこがわかっているのであれば、AIを創作のために使うことにはなんら問題はないと思いますね。べつに無理に「使わない」という選択はしなくていい。創作をするうえでは、自分の経験だったり、他者との対話だったり、いろんなものが道具になる。AIが出してくれるものも、そうやって次に何かをつくるための「道具」でしかないんだと思います。
聞き手・編集:藤田悠

対談の様子(撮影:小野寺智行)





