ブリコラージュで実現する、「対話」と「受動的な創造性」に満ちた組織──文化人類学の知を組織づくりに活かす方法
ブリコラージュで実現する、「対話」と「受動的な創造性」に満ちた組織──文化人類学の知を組織づくりに活かす方法

ブリコラージュで実現する、「対話」と「受動的な創造性」に満ちた組織──文化人類学の知を組織づくりに活かす方法

2021.12.07/13

社会的な文脈のみならず、組織運営においてもダイバーシティの重要性が強調されています。ただ、個人が創造的に働きながら、ひとまとまりの組織をつくることは容易ではありません。

この難題への突破口を示してくれる可能性があるのが、「ブリコラージュ(bricolage)」という考え方です。ブリコラージュとは、文化人類学者のクロード・レヴィ=ストロースが1962年に発表した『野生の思考』で取り上げた概念。フランス語で「ありあわせの道具、材料を用いて自分の手でモノをつくること」を意味し、日本語では「器用仕事」「日曜大工」と訳されます。

「多様な個を生かす組織をつくるためには、ブリコラージュ的なアプローチが有効である」──株式会社MIMIGURIでマネージャーを務め、理念開発・浸透のプロジェクトのファシリテーターとしても活躍する田幡祐斤はそう語ります。対話を通して「道具」の可能性を引き出しながら、妥協と再構築を繰り返して完成に向かうブリコラージュ的営みからヒントを得た、ボトムアップ型の組織づくりのための思想と方法とは。

田幡 祐斤
株式会社MIMIGURI Director / Facilitator
東京都出身。東京農工大学農学部卒業。専攻は環境文化史。卒業後は、アパレル企業での販売・スタイリストを経験。その後、マネジメントに関心を持ち人材開発コンサルティング会社に入社。大手企業クライアントを中心に人材開発施策(研修)の企画・開発・実施を行う。現在はMIMIGURIにて、理念創造・浸透、事業開発、組織開発、人材開発のプロジェクトを中心に活動。また、MIMIGURIの他にも、一般社団法人自然経営研究会(世話人)、奈良県立大学地域創造研究センター(共同研究員)、環境教育団体elsa(理事)などの活動も行う。


「道具の観察」から始まるブリコラージュ、「ゴールの設定」から始まるエンジニアリング

仕事に限らず、日常生活を送る中で問題に相対したとき、それに対処するための専門的な材料や道具、レシピが常に手元にあるとは限りません。そんな中で、身近にあるものを組み合わせながら問題に対処しようとする行為のことを、ブリコラージュと言います。

『野生の思考』の中でブリコラージュと対になる概念として語られているのが「エンジニアリング」です。この2つの概念を、田幡は料理を例に説明します。

たとえば、肉じゃがをつくろうと思い立ったとします。まずは冷蔵庫を覗いてみて、材料が足りなければ、スーパーに買いに行きますよね。肉じゃがのための食材を買い揃え、用意したレシピに則って想定通りの肉じゃがをつくり上げる。これはエンジニアリング的な行為です。

一方、ブリコラージュ的な料理では、まず「今日は寒いから、温かい料理をつくりたい」と考えます。その時点では、肉じゃがもシチューもポトフも選択肢としてあり得るわけです。そこで手元にある材料をチェックし、「あ、豚肉とじゃがいもがあるな。であれば、カレーをつくるか。いや、でも肉じゃがの方がいいかもしれない」なんてことを考えます。

「あ、でも玉ねぎがない。なくてもいいか。代わりに彩りとしてインゲンでも入れてみよう」「牛乳がちょっと残っているから、使い切ってしまいたい。であれば、シチューがいいか」「ルーがないけど、小麦粉で代用できるか」……手元にある素材で工夫し、試行錯誤しながら料理をつくり上げる。これが料理におけるブリコラージュ的な姿勢です。

ただし、エンジニアリングはブリコラージュの対になる概念ではあるものの、「エンジニアリング的な行為を否定する意図はない」と田幡は言います。優劣はないと明示した上で、それぞれの営みのポイントを解説します。

エンジニアリングで大事なのは、完成形をイメージした上で作業に着手することです。目的を果たすために「コレをつくろう」と明確に決め、設計図を描き始めることが、最初のステップになります。

一方、ブリコラージュは、まずは手元にある材料を観察することから始まります。そして、それらの材料を組み合わせることで、目的の達成を目指していくのです。その過程には試行錯誤が付き物です。様々な選択肢を吟味しながら完成を目指すので、スタート時点からは想像もつかないような着地を見せる場合もあります。

『野生の思考』では、ブリコラージュの元となる“bricoler”という動詞を、「ボールが跳ね返る」や「馬が道を逸れる」などの偶発的な運動を指す言葉として紹介しています。つまり、ブリコラージュはその語源から「偶然性」や「偶発性」と強い関連を持つ概念であり、悪い意味ではなく「ゆらぎ」や「ズレ」が付き物なのだと、田幡は強調します。

道具と対話し、その可能性を引き出す

さらに田幡はブリコラージュの特徴について、「自分の“宝箱”をつくる」活動が、いわば準備としてプロセスに含まれていることを指摘します。生活の中で興味を引くものを目にしたときに、「これ、いつか何かに使えそうだな」と感じ、とりあえず自らの“宝箱”に入れてみる。そうした日常的な収集と観察が、ブリコラージュでは重要視されています。

収集と観察を行うにあたって、重要な役割を担うのがアナロジー(類推的思考)です。子どもが拾った木の棒を剣に見立てておもちゃ箱に詰め込むように、類似する別の道具を想像しながら、自らにとってのツールボックスをつくっていきます。「日常生活で言えば、スーパーに行って『今日は必要じゃないけど、そのうち使うかもしれないから』と野菜を買い、冷蔵庫に保管するようなイメージ」だと田幡は補足します。

このような過程で収集した道具にも、状況の変化によって目的や必要性が現れることがあります。こうしたシーンについて、漁師の仕事を例に説明を加えます。

ある漁師さんが、「いつもは朝と昼に漁をしているけど、今日は夜に漁に出よう」と思いついたとします。続いて、「夜行性の魚の多くは光に集まる習性を持っているから、光る仕掛けをつくらないとな」と考えます。そうして、自分の“宝箱”を観察することからブリコラージュは始まります。

虫取り網やねじ、木の枝など、ストックしているものをよく観察するわけです。たとえば、その中に風船を発見したとしましょう。風船はもともと漁師の息子が遊ぶために買ったものでしたが、「子どもが遊ぶためのもの」という本来の意図を一旦度外視して、風船という道具が持っている可能性について考えてみる。これがブリコラージュの重要なポイントです。

「伸び縮みして、大きさが自在に変わるな」、あるいは「防水機能があるぞ」と道具の特性を見出してく。つまり、道具自体と向き合いながら、その道具が持つ意味や可能性を洗い出していくプロセスが大切なんです。このことから、ブリコラージュは「道具との対話から生まれる、受動的な創造性」と表現されることもあります。

このように、道具との対話を通し、道具の可能性を見出すことから目的の達成を目指していくことが「ブリコラージュ的な仕事術」なのです。

ブリコラージュ的な営みでは、妥協とズレを許容する

ブリコラージュ的な仕事のプロセスは「妥協と再構築」の連続です。先程の漁師の例で言えば、風船を使った仕掛けが、最初から申し分ない完成度になることはほとんどなく、多くの場合、妥協の上で完成を迎えます。もしくは、妥協できずには再構築することになります。

そして、その妥協やズレ、あるいは歪さに「その素材らしさ」やつくり手の「自分らしさ」が現れるのだと田幡は言います。同じ材料を使用したとしても、つくり手が違えば異なるものが出来上がります。さらに、そうやって出来上がったものが再び“宝箱”に収納され、やがて違う目的を果たすために再利用されこともあります。こういった試行錯誤のプロセスが繰り返し行われる点も、ブリコラージュの大きな特徴です。

「日常的な“宝箱”づくり」と「可能性を引き出すための道具との対話」、そして「妥協とズレが織り込まれたアウトプット」を特徴とするブリコラージュ的営みは、日常生活や仕事上の様々な局面に活かせると言います。

特に、経験したことのないプロジェクトに挑むときは、ブリコラージュ的なアプローチが適していると思います。プロジェクトの目的自体に新規性があり、完成形の想像すらつかない仕事に取り組むとき。そういったシーンでは、手元にある“宝箱”を観察し、そこにある道具との対話を繰り返しながら試行錯誤していく必要があると考えます。

もちろん業種にもよりますが、現代では完成形やプロセスが完璧に分かっている状態でスタートする仕事のほうが珍しいように思えます。言い方を変えれば、あらゆる仕事や生活全般の行為において、ブリコラージュ的なアプローチは求められるということです。社会の変化が激しい昨今のような環境下では、ブリコラージュ的な営みは特に重要になると考えています。

ブリコラージュ的な組織づくりの鍵は「個人の可能性を引き出す対話」にある

そんなブリコラージュ的な考え方を組織づくりに活かすことは可能なのでしょうか。このテーマについて考える上では重要な問いが2つあると田幡は言います。

(1)「理想のチーム像」からのトップダウン的なチームづくりに偏重していないか?
(2)探索的な知の創造や学習が促進されているか?

まず1つ目の問いについて、”理想のチーム像”に囚われすぎた組織づくりの問題点を次のように説明します。

もちろん、理想のチームを思い描くことに意味がないわけではありません。しかし、ブリコラージュ的な発想で組織を考えるときにまず重要なのは、今ある素材、つまり「人材」の可能性を見つめ直すことです。これまでの話との繋がりを踏まえて、あえて「人材」という言葉を使わせください。

プロジェクトを達成に導く、既存の「人材」としっかりと対話ができているかが重要だということです。「対話はしているよ」と言う人の場合も、チームの理想像に人材をあてはめるための対話になってしまっているケースが少なくありません。「こういうチームにしていきたいから、君にはこんな役割を果たしてほしい」といった具合ですね。しかし、これはブリコラージュ的な態度とは言えません。

理想の組織に個人をアジャストさせていくために対話を行うのではなく、メンバーの内発的動機や特徴が持つ可能性を見出すことを目的に対話をする。そうして様々な組み合わせを試しながら、目的の達成を目指していくことが、ブリコラージュ的な組織づくりの姿勢だと言えるでしょう。

適切な「問いかけ」が、知の探索を促進する

2つ目の問いは「探索的な知の創造や学習を促進できているか」。

イノベーションのジレンマを乗り越える方法として近年注目を集めている「両利きの経営」では、「知の深化」と「知の探索」の両立が重要だとされています。深化とは、経営においては既存事業を深掘りし、伸ばすこと。探索とは、新しい事業を開拓することを指します。これを個人に当てはめて考えれば、深化はすでに持っているスキルを更に伸ばすこと、探索とは新たな知識を獲得することになります。

田幡は両利きの経営を目指す組織が抱えがちな問題として、「個人の学習が『表面的な探索』に留まってしまっている」ことを挙げ、その要因として“受動的な探索”の重要性に目が向いていないことを指摘します。

たとえば、とある営業パーソンが「生花の考え方が営業のトークスキル向上に役立つらしい」と聞き、生花を学び始めたとします。これは一見「探索」に見えますが、あくまで「これをすれば役に立つ」という既存の価値観の中で生じる期待に根差しています。そのため、どちらかといえば「深化」に近い姿勢なのではないかと田幡は言います。つまり、本人は「探索」のつもりで学んでいたはずが、実際は「深化」的な活動になってしまっている状況が起こり得るのです。

逆に、深化的な取り組みとして「営業トーク術を学ぼう」と学習を進めるうちに、仕事のパフォーマンスに繋がるかはさておき、「コミュニケーションにはどんな可能性があるんだろう」といった問いを、意図せず持ち始めることもあります。このように確定的な成果を目的とするのではなく、まずは対象の可能性を探究するような取り組み方こそ、「探索」的な活動と言えます。

先程、ブリコラージュとは何かを説明するにあたって「道具との対話から生まれる、受動的な創造性」というフレーズを紹介しました。また、ブリコラージュでは収集と観察が起点となるという話の中で、観察とは言い換えれば、対象の魅力や可能性を考え、気がつくことだと説明しました。「何かのために学ぶ」といった能動性も非常に重要な学習態度ではあるものの、「探索」においては、まずは学ぼうとする対象とじっくり向き合い、その存在から受け身で「何かを感じ取る」姿勢がより大切になるのではないかと思うんです。

こうした受動性から始まる探索活動を支援し、個人が「探索」し続けられる組織をつくるためには、どのようなことに気をつけるとよいのでしょうか。

「メンバーが『生花を探索しています』と言ったときに、どういった言葉を返すのかが重要になります。『それって、営業にどう繋がるの?』ではなく『生花のどんなところに興味を持ったの?』と問いかけてみましょう。

深化の延長線上にあるものだけに目を向けるのではなく、新たな価値観の発見や探索そのものを称賛することが重要なんです。そうすることによって、個人、組織全体の探索が深まっていき、やがて文化となり、組織に良い影響を及ぼすのではないでしょうか。

ブリコラージュは、文化人類学の研究をきっかけに注目を集めた概念です。田幡は文化人類学について、「なぜ人は文化を形成し、その文化を再構築しながら継承してくのか。言い換えれば、コミュニティにおけるたゆまぬ知の創造は、いかにして続けられているのか」を探究する領域だと語ります。

一つの文化的な事象が、特定のコミュニティ内で受け継がれているメカニズムを、組織と個人の観点から解き明かすことが文化人類学の役割なのだとすれば、逆に言えば、その過程を経て現代で注目を集めるブリコラージュという概念も、組織の中で文化として根付くポテンシャルを秘めています。また、一人ひとりと向き合うそのあり方は、ボトムアップ型の組織づくりにおける基本的な思想・姿勢として活かせるのではないでしょうか。

Text by Ryotaro Washio
Edit by Masaki Koike


この記事は、いけばなの叡智をビジネスや人材育成につなげる「IKERU」を主宰する華道家・山崎繭加さんをゲストにお招きし、ブリコラージュを通して仕事やチームづくりの本質を考えたイベント「多様な個を生かすには?:“ブリコラージュ”型チームづくりの探究」の一部を記事化したものです。山崎さんと田幡によるフルでの対談は以下からご覧いただけます。

参考文献
飯田卓(2012)「経験を受け継ぐということ : マダガスカルの漁村から」『民博通信』,136巻, 2-7.
飯田卓(2010)「ブリコラージュ実践の共同体 : マダガスカル、ヴェズ漁村におけるグローバルなフローの流用」『文化人類学』, 75巻 1号, 60-80. 

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