政策の現場に「デザイン」を取り入れる未来をつくる──私が官庁からパーソンズ美術大学に留学して得た、新しい視座:連載「世界のデザインスクール紀行」第6回
政策の現場に「デザイン」を取り入れる未来をつくる──私が官庁からパーソンズ美術大学に留学して得た、新しい視座:連載「世界のデザインスクール紀行」第6回

政策の現場に「デザイン」を取り入れる未来をつくる──私が官庁からパーソンズ美術大学に留学して得た、新しい視座:連載「世界のデザインスクール紀行」第6回

2021.07.27/19

いま政策の現場に「デザイン」を取り入れ、その変革を行おうとする動きが始まっています。経済官庁に勤める半谷英里子さんは、パーソンズ美術大学のTransdisciplinary Design学科に留学し、同大学院に留学した仲間とともに「STUDIO POLICY DESIGN」を設立。日本の政策の現場に「デザイン」の考え方を取り入れる実践を行なっています。同質性の高い組織への疑問から留学を決意した半谷さんが、パーソンズ美術大学で学んだ「デザインのもつ可能性と暴力性」について振り返ります。


「帰ってきたら転職するの?」

留学前、同僚や知人に挨拶まわりをしている時、たびたび言われた言葉です。

公務員がデザインを学ぶ──。そう聞いても、当時の私の同僚や知人と同じように、いまいちピンと来ない方が大半でしょう。“公務員”と“デザイン”もしくは“デザイナー”、まったく対極にあるかのようなイメージを持たれるであろうこの2つの言葉もしくは職業。しかしいま、霞ヶ関にて政策にデザインを取り入れていこうとする動きが、少しづつ拡がっています。そんな政策とデザインの関係性について、私のパーソンズ美術大学での学びを中心にご紹介したいと思います。

同質性の高い組織への疑問

職場で働いていたある日、1人の先輩がシカゴ・イリノイ工科大学のデザインスクール留学から帰ってきたことをたまたま耳にします。私はもともとグラフィックやプロダクトなどモノに関するデザインを見ることが好きで、大学の専攻も建築と、いわゆる“狭義”のデザインに関心があったため、“デザイン”というその言葉1点に食いつきました。

しかし当時(ほぼ現在も)は公務員の留学といえば公共政策大学院や法科大学院などが主流であり、デザインスクールに留学をした公務員はその先輩が初めてでした。公務員として海外にデザインを学びに行くとはどういうことか? “デザイン思考”という言葉が日本でも有名になってはいたものの、その時は正直まったく検討がつきませんでした。

そんな折、同期でもある橋本直樹がニューヨークのパーソンズ美術大学にデザイン留学するということもあり、彼も含めて情報を収集し始め、デザイン思考を始めとする様々なデザインアプローチによる製品やサービスの開発・改良事例などを知ります。

翻って霞ヶ関での仕事を思い出すと、1年を通じた予算要求プロセスや国会などにより、物事の動いていくスケジュールがかなり硬直化されているため、ある程度それに合わせて動いていかなければなりません。

また、官庁にはどうしても似たようなバックグラウンドの方が集まり、そもそも女性も少なく、同質性の高い組織となっています。当たり前かもしれませんが、人は自分とは異なるバックグラウンドや立場の人の状況や気持ちを理解することはなかなかできません。

しかし、世の中の状況が変化していく中で、多様性の少ない組織の中だけで政策を考えているだけでは対応できなくなっていくのではないか。なかなか馴染みにくいところもあるだろうが、それでもデザイン思考における「共感から始めること」や「プロトタイピング」といったアプローチを政策の現場に取り入れていくことで、新たな切り口が生まれるのではないか。そう思い、デザインを学びに行くことを決めました。

Transdisciplinary Designプログラムとは何か?

しかし、「デザイン」と言ってもさまざまなアプローチがあります。その中で私が選んだのは、橋本やもう1人の同僚・羽端大くんも既に学んだ、パーソンズ美術大学のTransdisciplinary Design学科、通称TD。学科名を言うと大抵「何やってるの?」と聞かれるか、そういう顔をされます(笑)。

同プログラムはパーソンズの中でも比較的新しい学科で、2010年に設立されました。古くからあるファッションデザインやインテリアデザイン学科などは、何らかのモノの見た目や機能を具現化するといったことに主眼を置いています。

一方でTDでは、製品やサービスそのものというよりは、いわゆる広義の“デザイン”によるアプローチを主として、人々を取り巻く社会課題などを研究対象とし、その課題やその中での人々の体験・考え方などをどうやったら変えていくことができるかに着目して研究・教育が行われています。

またTransdisciplinary と冠する所以とも言えるTD最大の特徴が、課題に対するアプローチを1つの考え方や分野に限定するのではなく、サービスデザイン、コミュニケーションデザイン、スペキュラティブデザインといった様々なデザイン分野、またデザインを超えた人類学、社会学などの考え方を取り入れ、あらゆる視点から課題に取り組んでいくところにあります。この特徴は教授陣の専門の幅広さや、学生のバックグラウンドの多様さにも現われています。

またTDでは、サービスデザインを専門とする教授を中心に、Parsons DESIS Labという研究室が設置されています(DESISとは、Design for Social Innovation and Sustainability の略であり、イタリア・ミラノ工科大学のEzio Manzini名誉教授が提唱した国際ネットワークで、世界の他大学にも同ラボが設置されています)。

同ラボではその名のとおりソーシャルイノベーションとサステナビリティに主眼を当てて、NY市、NY市公立図書館などの公共組織と連携し、当事者たる市民も巻き込んで課題に取り組むなど、公共的なプロジェクトを行っており、私が同プログラムを選んだ理由もそこにありました。

デザインは時として無意識に他者への暴力となりうる

さまざまな専門性を持った教授陣がさまざまな視点からレクチャーするTransdisciplinary Design、教え方も内容も異なります。サービスデザインで使われるデザインリサーチ手法なども一通りレクチャーを受けましたが、2年間を通した学びで最も重要だったと感じているのは、デザインを行っていく上での前提となる根本的な考え、姿勢、発想でした。

最初の学期ではデザインリサーチ手法のレクチャーを受け、インタビュー方法やユーザーデータの収集・整理の方法、課題の設定方法などを学びます。それと同時に、自分とは異なる他者(多くの場合は自分がその社会や場における被マイノリティである場合、マイノリティ。また人間以外のものも含む)の視点があることにまず気づくこと、それを認め理解しようとすること、そうしたことがなされない場合、デザインは時として無意識に他者への暴力となりうること、自分の当たり前は他人の当たり前ではないことに気づくこと。こうした根本となる考え方を、毎週の課題リーディングとそれに関する同級生とのディスカッションでみっちり培いました。

リベラルな土地であるニューヨークの中でも、パーソンズが属するニュースクール大学(連載第2回参照)は、黒人史学などの新しい学問を初めて立ち上げるなど、そもそも旧弊のアカデミアに対して新しい学問の場をという意志に基づき設立された学校であり、「マイノリティの視点」「多数派による無意識の暴力」というものに一貫して関心を寄せてきた場であると感じます。

例えば人種問題の議論など、これまで海外で暮らしたことのない日本人である私にとって、渡米直後は「気にしすぎではないか」「言った本人にそこまでの悪意はないのではないか」と思うことも正直たびたびありました。しかし途中から、その場で何かが問題であると提唱する努力を、時に痛みも伴いながらもこの国では続けてきているのではないかと感じるようになりました。

議論を提唱することは意見の違いや対立を生みます。しかし議論によって、そこに問題があることを多数派が認識すれば、現状を変えるための大きな一歩となります。

授業では、AIやビッグデータなどのテクノロジーに関しても、人種問題や男女の格差問題などが議論に大きく絡んできました。留学前は研究開発関連の部署にいましたが、毎日のように話題になったAIの話で、そうした論点は一度も出てきていなかったため(研究者の方はそうした議論を認識していたかもしれませんが)、改めて自分と異なる視点を持つこと、またそれによってデザインの方向性が大きく変わりうることを実感しました。

現場に飛び込んで得られたもの

自分とは違う他者の視点や新たな視点を獲得することは、今まで見えていなかった問題を発見し、アプローチしていくことに繋がります。Transdisciplinary Designでは、今ある「問題の解決」そのものよりも、そのような視点を獲得して隠れている問題を提起し、その視点からどういった未来が描けるかをいかにデザインするかに主眼を置いています。授業ではそのユニークなアプローチ方法を、体感して学んでいくこととなりました。

例えば、デザインリサーチの手法を学ぶ授業。一通り手法についてレクチャーを受けたあとは、自分たちで課題を設定し、その中で実際にそれらの手法を使ってみました。私たちのグループは「どうやったらニューヨークの地下鉄を利用者にとってもっと心地よい空間にできるか?」という問いを自らの経験を踏まえて設定しました。

そして問いや仮定を設定したあとは学校の最寄り駅に繰り出し、ホームにテープを貼って仮想スペースを作ってみたり、学科のスタジオになぜか置いてあったフラフープを使い、駅の利用者にその中に入ってもらって話をしたりと、実践の場でのプロトタイプを行いました。いま思えば、最初の授業だったので「とりあえずやってみよう」という体当たり的なものでしたが、アンケートやレポートなどから得られる紙上のデータだけでなく、現地に行ってみて実際に動くことで得られる何かがある、と認識する最初の大きな機会となりました。

ホームにテープを貼って仮想コンフォートゾーンを設定してみる
フラフープを個人のコンフォートゾーンに見立てて話を聞いてみる

またある授業では、ブルックリンの公共図書館のスタッフと連携し、利用者に対する図書館の価値をどう再定義するかを考えました。ある日グループの友人と図書館をいつものように訪ねると、暖房設備の故障により終日閉館するという張り紙と、放課後の行き場をなくし途方に暮れる子どもたちの姿。

そこで急遽、友人と近所のダンキンドーナツでコーヒーを爆買いし、図書館に来た人たちに振る舞いながら(友人が提案した時は驚くと同時に感心しました)、彼らの話を聞いてみたところ、地域の人たちにとって図書館はどういう役割を果たしているのか、ヒントをいくつも発見できました。

閉まる図書館 /途方に暮れる子どもたち

ニューヨーク市の図書館は、日本で図書館を利用してきた側からするとと幅広いサービスを地元住民に提供し、地域のコミュニティハブとなっています。本の貸し出し、勉強の場以外にも、幅広い世代への就職活動の支援、子育て家庭への情報提供、子どものパソコン教室、収監されている地元住民とその家族への支援など。

この日話を聞いた人々が図書館を訪れる目的も様々でした。2人の子どもを遊ばせに来たが閉まっていて、公園も寒いので帰るしかないというお父さん。学校が終わって友達とだべりに来たのにと言う少年たち。外が寒いので暖を取りに来たという人。またトイレ機能として図書館を利用しているという人もおり(ニューヨーク市は公共トイレが絶望的に少なく、飲食店でもトイレだけだと借りづらいため、トイレ事情は地味に大きな問題となっています)、わたしたちの想定外の役割を図書館に求めている人がいたことに気づきました。

この日の体験から、この日のようなハプニングや老朽化による建て替えなどで地域のコミュニティハブとしての図書館がクローズした場合、その機能が散逸してしまうのではないかという考えに至りました。

また様々なサービスを提供しているがゆえに、図書館職員の負担は大きなものとなっています。こうしたことから、最終的にわたしたちのグループは、図書館と同様の機能を一部でも持つ周囲の公共・民間施設との常日頃からの図書館との連携を提案し、また図書館の利用者にどういう機能が地域に点在しているかを知らせるための子ども向け絵本(風パンフレット)を作成しました。

例えばアンケートを取ってみてもある程度は市民の声が集まるかもしれませんが、「図書館に行ったらたまたま閉まっていて途方に暮れる」状態が市民に発生していること、彼/彼女らがその時どういうことを感じているかなどは、やはり現地に行ってみて初めて(偶然も含み)得られる情報です。

なんでもかんでも現場に飛び込めばいい訳ではないし、図書館のように市民と密​​接なサービスと政策立案ではまた性格も異なりますが、政策の結果である制度や公共サービスが実際にどのようにユーザーに使われているか、現地で見たり聞いたりすることの少なかった自分にとって、授業でのこうした経験は新しい気づきを与えてくれたように思います。

あらゆる未来の可能性を模索するために

本連載の第2回で登場した岩渕正樹さんが紹介されたように、パーソンズの特色として、スペキュラティブデザインを提唱したダン&レイビーが教鞭を取っており、その視点を踏まえた授業が複数提供されている点があります。

私は彼らの授業は取れませんでしたが、ダン&レイビーがもともと教えていたイギリスのRoyal College of Artで学んだ准教授の授業で、スペキュラティブデザインを学びました。内容は、気候変動をテーマに、将来もしかしたらあるかもしれない未来についての作品をめいめい作るというもの。

その頃、新型コロナウィルス感染症が急速に拡大していたことも踏まえ、コロナ禍も気候変動も、実際に体験した人にしか痛みや苦しみ、切実さがわからなくなってしまっていた中で、いずれも他人事ではない、誰でも当事者になりうるというメッセージを込め、1人の日本人を題材とした近未来のドキュメンタリー風動画を作成しました。

また同級生の別のグループも、AIや樹木が政治家になる未来のニュース風作品を作るなど、人間以外の生き物の視点からの世界はどうなっているかという視点を提供し、興味深いものでした。

製作した近未来のドキュメンタリー風動画

この授業の先生に関しては、授業外でも印象に残っています。まだ新型コロナウイルスが拡がる前、ふと彼に大統領選の話を聞いてみたことがありました。当時は民主党の候補者選びが行われている最中で、若者に圧倒的人気の左派バーニー・サンダースや、現在大統領となっているバイデンなどが残っていましたが、民主党内をまとめトランプに対抗するために、それまでパッとしなかった中道派のバイデンが、民主社会主義者を標榜するサンダースと一騎打ちの状況になってきているところでした。

ニュースを観ていた私も、「現実的にはバイデンかな」などと思っていました。しかしスペキュラティブデザイン・フューチャーデザインを専門として活動するその先生は、「自分はバーニーを支持している」と答えました。これは私にとって意外でした。サンダースは特に若者に熱狂的人気だったのですが、彼は30代後半から40代前半で、それぐらいの世代の人はもう少し現実的な候補を支持しているかと勝手に思っていたのです。

彼は理由をこう語りました。「バーニーの言っている政策が全て実現可能だとは思っていない。しかし今この国にはビジョナリーリーダーが必要だ。どういう社会を作りたいか、それを掲げた上で、そこに一歩ずつ近づいていけばいい。だからバーニーの政策がすぐに全て実現しないことは問題ではない。」

これを聞いて私は衝撃を受けました。自分がいかに、現実に妥協して落とし所を見つけるという、これまでの仕事のやり方をベースとした頭で考えていたか気付かされたのです。例えば、ある方針ひとつをまとめるにしても、様々な利害関係者がいますが、すべての利害関係者が理想的な方針に諸手を挙げて賛成してくれるわけではありません。影響力の大きい人がいれば、その人の言うことを必ず方針に入れなければいけないということもしばしばです。

しかし仕事をしていくうち、「しょうがない」と、そういうことにだんだん慣れていってしまいます。また現実的にできることできないことを鑑みた上で、今あるデータの延長線上で将来の目標を設定することが多い政策現場では、“ありうるかもしれない未来”を考えた上で、そこから逆に現代における課題を議論するスペキュラティブデザイン的なやり方はなかなか登場していません。

もちろん実際に仕事を行っていく上で落としどころを探すのは重要ですが、これまでとは違う考え方を学ぼうと思ってアメリカに来た身としては、まだまだこれまでの思い込みが抜けきれていなかったと、考えさせられる出来事でした。と同時に、彼がまだない未来を模索するスペキュラティブデザインのリサーチャーたる理由を垣間見た瞬間でした。

パンデミック下での授業

このようにニューヨークの街を舞台にいろいろと学ばせてもらっていたところ、パンデミックが発生します。最初は完全に対面の火事だったニューヨークもあっという間に感染爆発の中心地となり、飲食店やコンサート、スポーツ等の娯楽施設、美術館など、あらゆるものがクローズもしくは営業を縮小する事態となってしまいました。私の通うパーソンズでも、3月の春休みを境にオンライン授業へと移行しました。

学生だけでなく教授陣もまったく初めての経験となるこの状況。実家や自国に帰った学生や教授もおり時差もある中での授業。オンラインになってみて初めて、いかにスタジオが創発生を刺激してくれる環境だったかということがわかりました。

そのまま書いたり消したりできる壁やテーブルに思いついたことを書き留めながら議論を交わす。雑多に置かれているいろいろなものや道具・工具などから何か作ってみる。友人とばったり会ってアドバイスをもらう。その辺に置かれている作品を見て刺激をもらう。こうしたデザインスクールの大きな特徴、特に偶発から何かを生み出すといったきっかけがほとんど失われてしまい、みんな戸惑っていました。

しかし少しでも失われた偶発性、セレンディピティを取り戻すため、徐々に工夫がなされていきました。例えばSlackやWhatsappグループ等の充実、オンライン授業でのチャットでの交流(非ネイティブには速すぎてついていけないこともしばしばでしたが…)、オンラインでの飲みパーティなど。

授業では、Mural, miro, Canvaなどのオンラインツールの活用や、現場でできなくなったユーザー観察をTwitterやFacebookの投稿などで行ってみるデジタルエスノグラフィー、Zoomなどを活用したオンラインインタビュー、観察対象自身に自分の周りの環境の音や写真などを撮ってきてもらう手法など……。

一方通行で講義するだけではない様々な学び方が前提となっていたデザインスクールにとって、オンライン下ではどうしても厳しい部分があったと感じますが、それでも、次々と現れるオンライン上のツール、そうした新しいツールを活用してなんとかやっていこうとするところ。ここでも、それまでのやり方にこだわらず、思い込みを捨て新たな視点を獲得することを地で行っていくことの大切さを感じる日々でした。

オンラインホワイトボードmiroを使ってのグループワークの一幕(ちょっとカオス)

公共組織と市民のコミュニケーションを考える

それでもやはり、コンタクトを取る人数は減りました。特に仲のいい友人以外、学校でばったり会って話すのと個人にダイレクトメッセージを送るのでは、ハードルの高さがだいぶ変わります。

感染を避けるための対策としてのソーシャルバブルという言葉が使われていましたが、同時にこのバブルは、より同質性の高い人たちの集団を作ることを助長し、自分の周りにいない、普段出会わないような人たちとの関わりを深刻に減らしてしまうのではないかとずっと危惧していました。

これは冒頭で述べたような霞ヶ関の同質性にも繋がります。どうやったらこのバブルを壊すことができるのか(感染対策は別問題ですが!)。どうやったらバブルの外にいる、今まで出会うことのなかった人たちと出会い、一緒にデザインしていくことができるのか。

こうした問題意識を基に修論では、国や市等の公共組織と市民のコミュニケーションのあり方について考え、またどういうコミュニケーションの仕方がありうるか、市民などのステークホルダー自身が考えるためのゲームを作りました。

具体的には、各ステークホルダーの認識を揃えるために、現在のステークホルダーの関係性を粘土やプラスチックボール、糸などを使って立体的に表すためのツールを作り、またこれらを用いて、仮想の場面においてステークホルダー間でどういったコミュニケーションがありうるか考えるためのゲームを作りました。しかし正直に言ってこの作品は非常に中途半端なものになってしまったため、こうして日本に帰国した現在、実際の政策現場において引き続きこうしたテーマを模索していきたいと思っています。

コミュニケーションのあり方を考えるゲームのプロトタイプ

また前述の橋本くん、羽端くんとともに、Studio Policy Designという一般社団法人を立ち上げ、政策現場におけるデザインの可能性を模索する活動を始めています(私はまだポッドキャスト以外ほとんど活動できていませんが、お時間あればお聞きください!)。

最初はデザインの手法を学ぼうと思っていたこの留学。しかしそこで得られたのは、むしろ政策をデザインしていく上での前提となる考え、姿勢、発想でした。「自分の当たり前は他人の当たり前ではない」。こうして文字にすると当然のことのように思えますが、政策の現場ではまだまだ当たり前とは言えない状態にあると思います。

本連載第1回の川地さんの記事にもありましたが、デザインを学んでいく上でよく出てくるキーワードのひとつに、“privilege (特権)” という言葉があります。そもそも何かのサービスや政策をデザインできる立場にあることは、ある種の特権を持っているとみなされます。

参加型デザインという考えも学びましたが、その中でも、もし様々なユーザーをデザインプロセスに巻き込み、その声をうまく聞けたとしても、最終的にどの声を拾うか、どう設計するか決めるのがデザイナーであれば、そこにはデザイナーの恣意が存在し、結局は立場が替わらないのではないかという議論もありました。

これまでの政策現場においては、公共政策等を学んだいわゆる“専門”の公務員が政策のデザイン、執行を担ってきました。しかし世の中の価値観が多様化するいま、分野によっては、最終的に役所が決めるという考えも、もしかしたら​​思い込みに捉われているのかもしれない。自戒も込めつつ、留学で学んだことを基に、政策現場でのデザインの活用をこれからも模索していきたいと思います。

プロフィール:
半谷英里子
慶應義塾大学理工学研究科修了後、経済官庁に入省。これまで地方創生政策、環境政策、産業技術政策等に携わる。2019年よりニューヨーク・パーソンズ美術大学大学院に留学し、MFA(美術学修士)を取得。また留学の傍ら、一般社団法人STUDIO POLICY DESIGNを共同設立し、政策現場における様々なデザインアプローチの活用について模索中。

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