創造性は、本当に一部の“天才”だけに与えられた資質なのでしょうか。
私たち一人ひとりの中にも確かに存在するはずのその力を、なぜ多くの人は発揮できずにいるのでしょうか。
本シリーズ『境界を渡る創造性』では、創造性研究の第一人者である岡田猛さんと石黒千晶さんが、日常の出来事を手がかりに、創造性を取り戻すための視点と実践のヒントを綴ります(全3回予定)。
■著者プロフィール(執筆順)

石黒 千晶
東京大学大学院教育学研究科附属学校教育高度化・効果検証センター/大学総合教育研究センター 准教授
株式会社MIMIGURI リサーチパートナー
2017年東京大学大学院教育学研究科博士課程単位取得退学.博士(教育学)。日本学術振興会特別研究員(DC2)、玉川大学脳科学研究所嘱託研究員、金沢工業大学情報フロンティア学部心理科学科助教ならびに講師、聖心女子大学現代教養学部心理学科専任講師を経て、現職。創造性や芸術に関わる心的過程の測定、また、芸術活動や創造性教育の効果測定について研究している。

岡田 猛
東京大学名誉教授、大学院 教育学研究科 客員教授
東京大学 芸術創造連携研究機構 客員フェロー
株式会社MIMIGURI シニアリサーチフェロー
認知科学者、東京大学名誉教授。1994年に米カーネギーメロン大学にてPh.D.(心理学)を取得。名古屋大学教授などを経て、2008年より東京大学教授、2025年より名誉教授。専門は教育心理学、認知科学、芸術教育。フィールドワークや心理実験による実証的研究と、大学や美術館での実践研究を往還しながら、芸術の創作プロセスや熟達化、創造性を高める教育支援方法の解明に取り組む。特に、アーティストが創作プロセスの要素を意図的に変動させる「ずらし」の理論や、アート鑑賞が創造意欲を高める「触発」のメカニズムに関する研究で知られる。2024年、日本認知科学会フェローに選出。研究知見を基に、社会に「創造的教養人」を広げる教育・社会実践にも力を注ぐ。
はじめに
先日イチローの引退を描いたテレビのドキュメンタリー番組を見る機会がありました(NHKスペシャル「イチロー 最後の闘い」)。それを見て驚愕したのは、現役引退を迎えたイチローが、その後も毎朝激しいトレーニングを続けていたことです。今年の3月に定年を迎えたばかりの私(岡田)は、イチローのこの前向きな意欲はどこから来るのだろうかと、感嘆と憧れの念を抱きながら番組を見ていました。
多くの人は、イチローが最初から溢れる才能を持った選手だったと考えているかもしれませんが、本人は若い頃から身体が細いことを気にかけていて、それを補うために打撃フォームを頻繁に変えていったことが知られています。これは、メジャーリーグに挑戦したり、加齢による身体の衰えを感じたりといった新しい状況の中でベストのパフォーマンスを達成するために、イチローが試みてきた極めて創造的な探索活動であったと言えるでしょう。引退の年のドキュメンタリーでは、「打つということの最終形はない。だから前に進もうとする意欲が生まれてくる。(中略)はっきりしているのは近道はないということですね。あとで考えると遠回りだったな、省けたらよかったなと思うことがある。でもそれが一番近いです。自分のぼんやりとした理想に近づく一番の方法は、遠回りをすることというのは、今ははっきりと言える」と述べていました。
そして、「やっぱり日々懸命に生きたい。それを重ねていく。懸命に生きられるモチベーションを見つけていくというのが、生きていく意味だと思うので、それを重ねていきたいと思います」と語っていました。オリックスやマリナーズでの選手生活を支えたモチベーションや意思や努力の背後にあるメカニズムについて、現在の心理学で分かっていることをもとに、少し説明してみましょう。これはイチローのような世界のトップアスリートに限らず、創造的な活動をしたいと思っている全ての皆さんに関わる話だと思うからです。
皆さんは、多様なアイデアや発想を持つ人、様々な物事に好奇心や探究心を持つ人を見ると、「あの人は創造的だ」と思うかもしれません。心理学では、前者の多様なアイデアや問題の解決方法を考える力を拡散的思考と呼び、後者のようなパーソナリティを経験への開放性と呼び、個人に宿る創造的潜在能力の一部と考えてきました。そして、こうした創造的潜在能力は確かに創造的なパフォーマンスと関連することが示されてきました。しかし、創造的潜在能力が高ければ全ての人が創造的な行動をするとは限りません。
では、創造的潜在能力はどのようにして実際の創造的な行動につながるのでしょうか。この問いに答える上で、近年注目されているのが、「創造的行動のエージェンティック・アクションモデル(Creative Behavior as an Agentic Action: CBAA, Karwowski & Beghetto, 2019)」です。このモデルは、創造性を発揮するためには、創造的潜在能力だけでなく、創造性に価値を見出し、それを実践できるという自己効力感を持つことが重要であることを指摘します。つまり、創造的な行動を起こすためには、「自分には創造的なことができる」と信じ、その価値を理解していることが不可欠なのです。
本記事では、このCBAAモデルを概説し、従来の創造性研究との違い、そしてこのモデルがもたらす創造性教育の新たな可能性について考察します。創造性が潜在能力だけではなく、自分自身の価値観や自己認識で変わるものだという事実を知ることで、私たちの創造性に対する見方が大きく変わるかもしれません。
創造的行動のエージェンティック・アクションモデル(CBAA)とは?
CBAA(Creative Behavior as an Agentic Action)モデルは、社会学習理論を提唱したバンデューラ(Bandura)の理論に基づき、創造的行動は個人の意図的な選択の結果であり、その行動は本人が信念体系に大きく影響を受けると考えます(Karwowski & Beghetto, 2019)。つまり、創造的な能力を持っていたとしても、それを行動に移すかどうかは、個人の心理的要因によって決定されるのです。
特にCBAAモデルでは、特定の創造的行動を取るためには、①自分がその行動を実行できるという自信(自己効力感)と、②その行動に対して個人的な価値を感じることが不可欠であると指摘します。たとえ創造的な潜在能力があっても、この二つの要素が不足している場合、人は創造的な行動を起こさない可能性があるのです。
このように、CBAAモデルは、創造性を単なる潜在能力としてではなく、「主体的な行動の結果」として捉え、創造的な行動を促すためには、個人の信念や価値観に働きかけることが重要であることを示しています。

注:創造的自信と創造性の価値認識には相互関係があり、自信があると価値認識が高まり、価値を認識している人は自信を持つことができる。創造性の価値認識は、創造的潜在能力と創造的行動の間のつながりを調整する。つまり、創造性の価値を認識している人は、創造的自信が高いほど創造的行動に移すことができるが、価値を認識していなければこのつながりは弱くなる。また、創造的自信は創造的潜在能力と創造的行動の間を媒介するが、これは創造性の価値認識によって調整される。つまり、創造性の価値を認識している人は、創造的潜在能力が高いほど創造的行動に移すことができるが、価値を認識していなければこのつながりは弱くなる。
CBAAモデルがもたらす教育への示唆
これまでの創造性教育は、主に拡散的思考や問題解決能力といった認知的スキルや認知プロセスの介入や支援に焦点を当ててきました。たとえば、ブレインストーミングの技法を学んだり、新しいアイデアを生み出すための発想法が提案されてきました。しかし、こうした方法だけでは、人々がその後も創造的な行動を実際に行うかどうかはわかりません。たとえ優れたアイデアを思いついても、「自分には実行する力がない」と感じたり、「やっても意味がない」と思ってしまったりすれば、その人の行動にはつながらないからです。
CBAAモデルは、従来の創造性教育の枠組みを広げる新たな方向性を示しています。それは、創造性を単なる能力の問題として捉えるのではなく、「創造的な行動を取る主体を育むこと」だと捉えるものです。CBAAを踏まえた創造性教育では、例えば「創造的自己効力感を高めること」「創造性の価値を伝えること」「創造的行動を支援する環境の整備」が重要になります。
まず、創造的自己効力感を高めるためには、個人が創造的行動に関する成功体験を積み重ねたり、他者からの温かく建設的なフィードバックを得たりすることが重要です。その中で、「自分は創造的なことができる」という実感を養うことができます。また、創造性の価値を伝えることも重要です。そもそも創造性が何なのか、社会の発展のために、創造性がどのような役割を果たすのか、また、個人的な価値として「創造的であることが自分にとって意味がある、自分らしい」と思えるような経験ができるように機会や環境を作ることも重要です。さらに、こうした学びを支える環境を学校や職場で整備することも必要です。学校や職場では創造的な取り組みを奨励すること、また、他者と創造的行動に取り組むためのプロジェクトを導入することも可能かもしれません。
まとめ
CBAAモデルは、創造性を発揮するためには、認知能力やパーソナリティなどの潜在能力だけでなく、創造的行動に対する信念や価値観が重要であることを指摘しました。つまり、創造的なアイデアを生み出したりすること以上に、それを実行する意思を持つことが不可欠なのです。AIが様々なものを生成できるこの時代に、何を自分が創造するか、意思をつくり、自己決定すること。それが人間が発揮する創造性の核とも言えるかもしれません。
今後は、CBAAモデルをどのように具体的な教育プログラムや組織開発に応用していくかを考える必要があります。たとえば、学校での創造性教育のカリキュラム設計、企業におけるイノベーション支援プログラム構築などが挙げられます。その中では、創造性の重要性を考えたり、創造的自己効力感を育むための実践的な手法や評価方法についても研究を深める必要があります。
CBAAモデルが示す視点を活かし、より多くの人が創造的な可能性を発揮できる社会を目指していくことが求められています。
References
Karwowski, M., & Beghetto, R. A. (2019). Creative behavior as agentic action. Psychology of Aesthetics, Creativity, and the Arts, 13(4), 402–415. https://doi.org/10.1037/aca0000190.


