「つい、リーダーシップを学んでしまう」環境をどうデザインするか?:連載「リーダーシップ教育の最前線」 第5回
「つい、リーダーシップを学んでしまう」環境をどうデザインするか?:連載「リーダーシップ教育の最前線」 第5回

「つい、リーダーシップを学んでしまう」環境をどうデザインするか?:連載「リーダーシップ教育の最前線」 第5回

2022.01.11/9

こんにちは、舘野泰一です。私は立教大学経営学部の准教授として、若年層を対象にしたリーダーシップ教育に関する研究・実践をしています。

本連載では「リーダーシップ教育の最前線」として、リーダーシップ教育の背景となる理論や、実践の手法について紹介します。

これまでの記事では、
第1回 新しいリーダーシップの考え方について知る
第2回 リーダーシップ教育の実践の概要について知る
第3回 学習者にとってちょうど良い「課題」を設計するための勘所
第4回 リーダーシップを育むための「より振り返り」とは?
について取り扱ってきました。

第5回と、第6回では、これまでの記事とは異なり、試論としての「プレイフルなリーダーシップ論」について書いていきます。

プレイフルにリーダーシップを学ぶとは?

「プレイフル」は、「遊び心」などと訳されます。ここ数年、私はCULTIBASEのイベントやゼミなどでも、「遊びのデザインゼミ」「プレイフル経営ゼミ」などで、このテーマについて検討をしてきました。

私はこの「プレイフル」という発想と、「リーダーシップ」の考え方が交差することが重要だと考えています。それがなぜなのかについて、現時点での考えについてご紹介していきたいと思います。

第5回は、プレイフル「に」リーダーシップを学ぶとは?
第6回は、プレイフル「な」リーダーシップとは?
というかたちで書いていきます。

第5回で説明していくのは「プレイフルにリーダーシップを学ぶ」という観点です。リーダーシップ教育・開発の手法として、プレイフルなアプローチを広げていきたいという思いで、これらを検討しています。

これまで、この連載でもリーダーシップ教育・開発の手法について説明してきました。既存の手法はいろいろなバリエーションがあるのですが、「修羅場経験がリーダーシップを育む」、「耳の痛いフィードバックが成長を促す」など、なかなかハードな言葉が並ぶことがあります。

もちろん、これらはアカデミックな知見に基づいており、リーダーシップを育むために効果的な手法です。しかし、もう少し別の選択肢があってもよいのではないかとも考えます。

ただでさえ、いまの世の中「管理職(リーダー)になりたい」という人が少ない状態です。リーダーとして振る舞うのも大変なのに、リーダーシップを高める方法までハードとなると、そもそも「リーダーシップを発揮してみたい」という人がいなくなってしまうのではないでしょうか。

もちろん、リーダーシップを高めるのは簡単なことではありませんが、「リーダーシップを発揮できるようになりたい!」と思えるようなアプローチはないかと模索しています。

プレイフルは「楽」。ではなく「真剣勝負」

このように説明すると、「プレイフルにリーダーシップを学ぶ」とは、「つらくない」・「楽」といったイメージを持つかもしれません。

しかし、プレイフルは「楽」とは限りません。遊びの特徴とも重なりますが、プレイフルには「楽しさ」に加え「本気・真剣」ということも重要な要素です。

「本質的につまらないものを、面白そうに見せかける」ことはプレイフルなアプローチとはいえません。本質的な問題を脇において、一時的に面白そうに見せかけたとしても、それはかえって「日常に戻ってしらける」といった反動が大きくなってしまいます。

そうではなく、「プレイフルにリーダーシップを学ぶ」ということは、「遊びの要素」を取り入れることで、「これまでとは異なる視点」に気づき、面白いからこそ、本質的に学びが深まってしまうことを目的としたアプローチということができます。

自己理解を深めるために、遊びを取り入れる

「プレイフルにリーダーシップを学ぶ」具体的な例を1つ紹介してみましょう。

これまでの連載でも紹介した通り、リーダーシップ教育では「自己理解」が重要です。自分を理解することで、周りのひとたちに効果的に影響力を発揮することができるからです。

そして、自己理解を深めるためには、

・自分で自分のことを知ること
・他者から自分がどのように思われているかを理解すること

の2つが重要です。そして、そのための手段として「自分の過去を振り返る」、「他者からフィードバックをもらう」などの活動がおこなわれます。

しかし、やってみるとわかるのですが、

・自分で自分のことをわかるのが一番難しい
・他者からフィードバックをもらうのは気恥ずかしい・怖い・傷つく

というかんじで、案外と難しいのです。

これに対して、プレイフルなアプローチで、ワークをオリジナルに作成できないかを考えてみました。

さきほど挙げた難しさをもう少し分解して考えてみると、以下の2つがポイントになると考えました。

1.「自分を知る必要があるから、自分で自分のことを考える」というのは、最短ルートのように思えるが、最短ルートを通ろうとするからこそ見えないものがあるのでは?
→遊びの要素である一見「遠回り」な要素を取り入れる


2.「他者から意見を聞いたほうがよい」というのは頭では理解できるけれど、それを邪魔する恐怖などの感情を取り除くことはできないか?
→恐怖ではなく「好奇心」でついやってしまう要素を取り入れる

これらを行う上で、「遊び(ゲーム)とは何か」という考え方が応用できます。以下の考え方を応用すると、「ゴミを捨てる」という単純な行為ですら、遊びにすることができます。

何かをゲームにするためには、想定される最短ルートと思われる方法をあえて禁止する。その上で独自のルールをひとつ付け加える。例えば、「ゴミを捨てる」場合に、ゴミ箱まで歩いてゴミを捨てるのが最短ルートと想定されるので、その行為を禁止する。そのうえで、足元に線を引いて、ゴミを投げ入れるというルールを付け加える。すると、その行為は「ゲーム」になる。*1

この発想をもとに、私は、

・「自分で自分のことを考える」
・「他者から自分のことを聞く」

という2つの方法を「禁止」することにしました。そのうえで、

「自分で自分のことを考えること、そして、他者から自分のことを直接聞かずして、自己理解を深めることができないか?」

という問いを立て、この条件を満たすワークショップを考えました。最短ルートの方法を禁止したこのやり方が楽しみを生み、恐怖心を下げることができるのではないか。そして、通常の自己理解では気づくことのできない、新たな一面に気がつくことができるのではないか。こうした狙いの上、ワークの構想を練りました。

他者を交えることでポジティブに自分の可能性に触れる

こうした発想をもとに、完成させたワークが

・自分が最高のパーフォマンスを出せる4人チームを想定して、自分以外の3人について考え、他者に共有
・共有されたメンバーは、そこに描かれていない「空白のあなた」を自由に妄想して相手に伝える

というものです。

自己理解をするためのワークなのに、自分で自分のことを考えてはいけません。さらに、他者からのフィードバックも「直接あなた」について語るのではなく、「空白のあなた」について語ります。こうすることで、自分が直接なにか言われる恐怖感よりも、もしかしたら新たな自分についての発見があるかもしれないという偶然性によるワクワク感へと変化するのです。

このワークはすでに大学や企業などでも実施していますが、なかなか好評です。自分で自分のことを考えると、いつものありきたりな自分がでてきてしまいますが、自分の周りの3人に目を向けると、考えてもいない自分のが浮き上がってきてしまいます。

他者と対話するときにも、その人本人は空白なので、直接フィードバックをおこなうときの緊張感や恐れが軽減され、いろいろと自由に言いたいことを話せます。

・「この3人の中だと、アイデアを出す人がいないよね?真ん中の人はけっこうアイデア出しが好きな人なんじゃない?」
・「周りに細かいことが得意な人がたくさんいるから、真ん中の人はあんまり細かな作業をするのは好きじゃないのかもね笑」

その人本人に対するフィードバックではなく、あくまで「予想」なので、当たっても当たらなくてもかまいません。そのため、周りの人たちは自由にフィードバックの素材となる会話をすることができます。予想されている本人も、「これは外れているな」とか「あっ、これは意外にあたっている・・・」など、ドキドキしながら話を聞くことができます。

「あなたはこういう人だ」と断言されるのではなく、「あくまでこうかもしれない」という素材がたくさん提供されるだけなので、フィードバックを「主体的に受け入れる(自分から受け取る)」という行為がやりやすくなっているようにも感じます。「あなたって細かいことが苦手だよね」と直接言われたら傷つくかもしれませんが、予想の中で「もしかしたら細かいことが苦手な人なのかもね」と言われると、なんだか「つい笑ってしまう」ような感覚があります。

ここで重要なのは、プレイフルなアプローチによって「楽しさ」は追加されているのですが、けして「ぬるいフィードバック」になるとは限らないという点です。

「空白のあなたの予想」というワークなので、むしろ本人を前にしたら言えないようなフィードバックでも「ついでてきてしまう」可能性があり、その意味で、いつものフィードバックよりも「耳の痛いこと」が話題にのぼる可能性すらあります。しかし、なんだか自分のことをわかられてしまい、うれしいような、悲しいような「つい笑ってしまうような心地よさ」があるのです。考えてみると、遊びの中のコミュニケーションは「じゃれ合い」のような楽しさがあると思いますが、そのような雰囲気になります。

このようにプレイフルなアプローチは、遊びの要素を取り入れたワークのデザインのことを指します。一見遠回りなようでいて、それが楽しみとなり、最短距離で到達しようと思ったら、なかなか到達できないゴールへ結局早くついてしまう。

学習者はいつもと違う体験をしているうちに、学習としての幅と深みを獲得しまうような設計がプレイフルなアプローチです。この例をみると、プレイフルにリーダーシップを学ぶことが「つまらないものを表面的に面白くしようとするものではない」ということがわかるのではないかと思います。


ちなみに、このワークの副次的な効果として、自分が活躍できる環境を支える3人について考えるので、自分の職場のひとたちに感謝の気持ちが芽生えるという点が挙げられます。「そうか、自分が成果を出せるのは、○○さんみたいな人がいるからなんだな」という、他者に対する理解も深まります。これは当初狙ったものではありませんでしたが、とても大事な効果のひとつだと思っています。

まとめ

今日は「プレイフルにリーダーシップを学ぶこと」について書いてきました。

リーダーシップを学ぶ環境をつくるためには、リーダーシップが確実に高まる教育手法を検討すると同時に、「リーダーシップを発揮したい・学びたい」と思える環境づくりが重要です。

特に私は若年層のリーダーシップ教育を専門としていることもあり、子どもの頃から、プレイフルにリーダーシップを学ぶような環境をつくりたいという思いがあります。

そして、プレイフルにリーダーシップを学ぶ環境は、表面的な楽しさを追い求めるものではありません。「表面的な楽しさ」でごまかしているかどうかは、大人はもちろん、むしろ若い人たちの方が敏感に察知するでしょう。

プレイフルにリーダーシップを教えることは、遊びの要素を取り入れることで、楽しく、真剣に取り組む環境をつくることです。そして、一見遠回りのような活動が、普段の自分の認識を揺さぶります。これによって、通常のアプローチでは実現のできない、視点の拡大と、学びの深まりを目指すものです。

こうした「プレイフルにリーダーシップを学ぶ環境」について、その構成要素やデザインの原則についてまとめていければと考えています。

参考文献
*1 バーナード・スーツ(2015)キリギリスの哲学:ゲームプレイと理想の人生.川谷茂樹・山田貴裕(訳).ナカニシヤ出版

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