「共創(co-creation)」という言葉はとても多義的です。使われる文脈によって意味が異なるため、「共創とは何か」という問いに明確に答えるのは簡単ではありません。共創という言葉は、一見すると魅力的な概念に見えますが、その定義があいまいなまま流行語のように使われているという指摘もあります。
実際、共創という言葉はこの十数年で急速に広まり、イノベーションや共生と同様に「バズワード」として扱われることも増えてきました。Google Trends上にて2004年から現在にかけての「人気度」の推移をグラフにしたところ、人気度は例年高まっていることが窺えます。

本記事では、「共創とは何か」という問いについて、検討していきます。共創という言葉が指す意味や、その多様な使われ方、立場の違い、理論的な背景について理解を深めるべく、多角的にいくつかの研究を調べてみました。
ビジネス領域における共創の起源と展開
共創という概念が広まった領域の一つが、ビジネスや経営に関する分野などにおける「価値共創」に関する議論。2000年代前半には、Prahalad & Ramaswamy(2004)の消費者と企業の「コ・クリエーション(Co-Creation)」に関する研究やVargo & Lusch(2004)の「サービス・ドミナント・ロジック(SDL)」の研究などに見られるように、企業と顧客がともに価値を創り出すという考え方が提唱され、注目を集めてきました。
それまでの企業は、製品やサービスの価値を一方的に提供し、顧客はそれを受け取る存在と捉えられてきました。しかし、価値共創の考え方では、顧客自身も自らのリソースを持ち寄り、価値創造のプロセスに能動的に関わる「共創者」と位置づけられます。実際、サービス経営やマーケティングの分野では、共創は欠かせないキーワードとなっており、共創プロセスを製品やサービスプロセスに含むことを想定した、効果測定に関する研究も進んでいます。
その中でもたとえば、戸谷(2016)は企業の「共創的」な取り組みの進捗や価値の蓄積を測るための尺度(FKE Valueモデル)を開発しています。FKE Valueモデルとは、価値共創を「基本機能価値(FV)」「知識価値(KV)」「感情価値(EV)」の3要素で測る枠組みです。企業・従業員・顧客に「社会」を加えた4者の最適化をめざし、取引データなどの客観値と、顧客・従業員への質問紙で主観値を同時に測定するものになっています。
また、赤津ら(2013)では、企業と顧客が共に新たな価値を生み出す「顧客価値の協創」を実現するための手法を紹介しています。具体的には、サービスの計測・設計・評価にわけてステップを提案。さらに、サービスの評価という観点では、企業活動における複雑な因果関係(直接・間接の影響)を「見える化」し、時間とともにどう変化するかをシミュレーションするための分析手法である「ビジネスダイナミクス」なども取り上げています。
その一方で、実際の企業現場では、共創型の経営にどの程度リソースを投じれば、どのような成果が得られるのかが不透明であり、慎重な姿勢も見受けられます。こうした中で、共創の効果を可視化するための定量指標の開発は、まだまだ始まったばかりです。
社会課題とイノベーションの現場における共創
共創は、イノベーションの創出や社会課題の解決といった文脈でも注目を集めています。異なる分野や業種の関係者が、組織の壁を越えて協働しながら、新たな解決策やビジネスモデルを生み出す動きは、さまざまな場面で推進されています。とはいえ共創とはいっても具体的にどのようなものが存在するといえるでしょうか?
たとえば八木(2020)は、共創がもたらす成果(効用)について、多様な社会実践の事例をもとに分析を行い、その成果が「経済的価値」と「文化的価値」という二つの極に分かれ得ることを提唱しています。一方には、新規事業の開発や市場価値の創出を目的とするような、経済的価値に重きを置いた共創があり、もう一方には、地域の祭礼や文化活動のように、文化的・社会的な価値を生み出す共創があります。
さらに八木は、共創の「目的」に注目し、「課題探索型」と「課題解決型」に分類する視点を提示しています。課題探索型とは、解決すべき課題自体がまだ明確でなく、その発見や定義を目指すタイプの共創です。一方、課題解決型は、すでに認識されている課題に対し、具体的な解決策を見出すことを目的としています。そして八木は、価値の種類(経済的か文化的か)と課題の明瞭性(探索か解決か)という2つの軸を用いて、共創を4象限のモデルで整理しています。

専門性の違う存在同士の共創
デザイン学では、特にユーザー参加型のデザインや協調的な創造活動といった文脈で、「共創」という概念が重視されるようになってきました。たとえば小早川・須永(2012)は、美術と情報技術の協働による研究開発プロジェクトにおいて、「表現の場」のデザインを、開発チーム(専門家)と利用者コミュニティ(一般参加者)がともに作り上げていく共創的アプローチを紹介しています。
このプロジェクトでは、美術大学のデザイナーと技術研究者による開発チームが、ミュージアムや学校などの現場に出向き、地域の人びとと協力しながら新たな表現の空間を創出していきました。著者らは、そこで生じた共創のあり方を二つに整理しています。
- 開発チームが利用者コミュニティの利活用に参画し、そこから得られた知見を構想・造形・設計・実装に還元している「開発チーム中心型の共創」。
- 研究開発の一翼を利用者コミュニティが担い、その協働の中で、開発チームは専門的知見を要する設計・実装を中心的に担当する「利用者コミュニティ中心型の共創」。
小早川・須永は、こうした二重の共創を通じて、研究成果が単なる知識の蓄積にとどまらず、社会への実装につながることを示しています。


このようなデザイン実践から得られる示唆は、共創とは異なる立場や専門性、経験を持つ人々が対等に関わり合いながら、新たな価値や体験をともに生み出すプロセスであるという点です。とりわけ、ユーザーを「受け手」ではなく「創り手の一員」として位置づける姿勢は、企業と顧客の関係における価値共創の考え方にも通じ、共創概念の適用可能性を広げるものといえるでしょう。
共創を問い直す―根源からのアプローチ
共創という概念の根源的な意味や価値を問い直す議論も進められています。特にその議論は共創学会の発足した2017年ごろに活性化していきました。
たとえば三宅(2012)は、共創を「われわれ」という感覚を基盤とする集団的な気づきの創出プロセスとして定義しています。著者は、ホンダの「ワイガヤ」に代表される議論文化を起点に、共創を単なる協働ではなく、人と人・人と環境が相互に浸透し合う“場”の生成過程として捉えます。近代科学が前提としてきた自他分離的な認識を超え、身体を介して他者や環境と共に境界を生成し続ける非分離的関係を重視します。共創は、設計者と使用者の区別を超えて「場」との自己言及的循環を生む営みであり、そこに創造的学びや関係的妥当性(レレバンシー)が生まれると論じています。
また大塚(2019)は、共創は単なる協業やマーケティング手法ではなく、自己と他者、人間と自然、主観と客観といった分断を乗り越え、非分離的なつながりの中で共に新たな価値を創出する営みであるとしています。ホンダの技術者たちの実践例や、学術分野での「場」における共創、企業経営における価値創造、そして社会課題へのアプローチなど、多様な視点から共創が語られていますが、大塚のいう本来的な共創とは「ともに在る」「ともに成る」関係性に基づき、外部や他者と深い相互作用を持ちながら命を共にするような共存の場を創ることにあると結論づけます。
他方で、共創を認知科学の観点から捉え直す研究も進んでいます。たとえば諏訪(2019)は、共創の本質を「二人称的(共感的)関わり」として位置づけています。共創とは単なる協働や合意形成ではなく、人と人、あるいは人とモノとのあいだに生まれる相互の折り合いと共感を通じて新しい秩序や意味を生成する現象であると論じます。こうした関係性を理解するためには第三者的な客観観察では不十分であり、一人称的な内側からの観察(からだメタ認知)によって、自身と対象の相互作用のダイナミズムを捉える必要があると主張します。また、共創は「皆で一つのゴールを形成する」協調ではなく、各人が相手への共感を介して自分なりの新しい生き方や秩序を見出す過程であると結論づけています。
さらに郡司(2019)は、共創を単なる「共同作業」ではなく、「外部を召喚する表現行為」として捉えています。すなわち、他者や未知なる外部と関わり続ける実践そのものが共創であり、そこでは理論と実践、内と外、「わたし」と他者の区別が解体されます。郡司はこの状態を「表現耕法」と呼び、表現とは外部との関係を耕し続ける行為であると説きます。とりわけ芸術作品を例に、作家の意図と現実の間にあるギャップ(藝術係数)が外部を呼び込み、鑑賞者との共創を生むと論じます。つまり共創とは、完成された理論や成果ではなく、「わたし」が解体されつつ外部と共に生成し続ける、終わりのない実践的なメソッドといえるかもしれません。
これらの研究からは、共創とは単なる「協働」や「共同作業」を指す言葉ではなく、人と人、あるいは人とモノ・環境とのあいだに生まれる関係性の生成過程を意味していることがわかります。そこでは、成果物やプロジェクトの達成よりも、むしろ「関わりのあり方」や「変容のプロセス」こそが中心的な価値をもつといえるでしょう。
それは調和的でも美しいだけの営みではなく、異質なもの同士がぶつかり、すれ違い、誤解しながらも離れきれずに関わり続ける過程です。「成果をともに生み出す」ための整った協働ではなく、むしろ摩擦や葛藤、混沌の中でしか立ち現れない変容のリアリティです。自己と他者、内と外、思考と身体の境界がにじみ合い、時に自らの輪郭さえ曖昧になるような経験のなかで、何かがかすかに立ち上がるざらつきこそが、共創の生々しさといえるかもしれません。
どうしたら揺さぶりあえるのか
「共創」とは、口で言うほど容易なことではありません。多くの共創プロジェクトが「対話」や「協働」を掲げながらも、実際のところは既存の立場や専門領域を守り合う場にとどまってしまうことがあります。人は誰しも、自らの専門性や信念、価値観を拠りどころに生きています。それらを問い直すことは、自己の足場を一時的に失うことを意味するため、根源的な不安や抵抗を伴うものです。
言葉の上では「共創」と呼ばれていても、その内実は調和や合意を優先した、中途半端なものに留まるケースも少なくありません。そこでは、異なる立場のあいだで対立や緊張が表面化することを避け、結果的に関係性の深い変容には至らないまま、プロジェクトの成果だけが整えられていきます。つまり、ざらつきや揺さぶり合いが共創の核心であるにもかかわらず、その不安定さを引き受けきれないまま形式的に進行してしまうというパラドックスがしばしば潜んでいます。
しかもそのパラドクスは、ビジネスにおいては「推進力」という言葉で正当化されてしまいます。プロジェクトを前に進めること、合意形成を円滑にすることが善とされるビジネス現場で、異なる立場や世界観の摩擦は「停滞」や「生産性の低下」とみなされがちです。その結果、本来なら問いを深める契機となるはずの葛藤が、早々に収束させられてしまう。こうして「共創」は、変化を生み出す場ではなく、円滑な調整を目的とした「協調の技法」として消費されていくのです。ところで本当にそれでいいのでしょうか。
異なる立場の人々が対話の中で「変わってしまうかもしれない自分」を受け入れる覚悟を持てるかどうかにかかっています。そう考えると共創とは、相手を理解し合うことに留まらず、自分自身の理解の枠が変形していくことを引き受ける覚悟が求められる「過酷」なものかもしれません。
参考文献
- Prahalad, C. K., & Ramaswamy, V. (2004). The future of competition: Co-creating unique value with customers. Harvard Business Press.
- Vargo, S. L., & Lusch, R. F. (2004). Evolving to a new dominant logic for marketing. Journal of Marketing, 68(1), 1-17.
- 戸谷圭子 (2016) 「共創価値測定尺度―FKE value model」『サービソロジー』3(2), 32-41.
- 赤津雅晴・平井千秋・長岡晴子(2013)「顧客価値をいかに協創するか」『電気学会論文誌 C(電子・情報・システム部門誌)』133(4), 693-698.
- 八木景之 (2020) 「共創の事例と概念的検討」『未来共創』7, 49-62.
- 小早川真衣子・須永剛司 (2012) 「表現の場のデザインにおける2種類の共創」『計測と制御』51(11), 1082-1089.
- 三宅美博 (2012) 「システム設計における共創という姿勢――自他分離の『境界』から自他非分離の『場』へ」『計測と制御』51(11), 1037-1043.
- 大塚正之 (2019) 「「共創」とは何か」『共創学』1(1), 61-68.
- 諏訪正樹 (2019) 「二人称的(共感的)関わり――共創現象を解く鍵」『共創学』1(1), 39-48.
- 郡司ペギオ幸夫 (2019) 「共創=表現耕法の意味論:「わたし」の内在と解体」『共創学』1(1), 5-18.
- 郡司ペギオ幸夫 (2021) 「共創と共生――天然知能で読み解く「共生学宣言」」『共創学』3(1), 14-26.