スタートアップや新規事業が市場を変革しようとする際、既存の法規制や社会的な慣習が壁となることは珍しくありません。しかし、そのルールは決して変えられないのものではなく、適切なプロセスを経れば「デザインし直す」ことができるものです。
企業が市場や社会のルールに働きかける「パブリックアフェアーズ(Public Affairs:以下PA)」や「ルールメイキング」。その最前線で活躍し、株式会社メルカリでの政策企画や、現在はnewmo株式会社などの支援を行う吉川徳明さん(PA Commons株式会社 代表取締役)に、企業がルールと向き合う際の実践的なアプローチについて伺いました。前例のない「AI与信」を成立させるまでの泥臭いプロセスから、経営者に求められる「覚悟」、そしてSNS時代のレピュテーションリスクという難題まで、市場変革の裏側にあるロジックと葛藤を、吉川さんの経験とともに掘り下げます。

吉川 徳明
PA Commons株式会社代表取締役。経済産業省、日本銀行、内閣官房を経て、2014年にヤフー株式会社に入社。政策企画部門で、国会議員、省庁、NGO等との折衝や業界横断の自主規制の策定に従事。2018年、メルカリに入社し、eコマース分野やフィンテック分野を中心に、政策提言、自主規制の策定、ステークホルダーとの対話等に従事。2021年7月より執行役員VP of Public Policy。2025年、PA Commonsを設立し、渉外活動やステークホルダーコミュニケーションの支援業務にあたっている。
メルペイ「AI与信」実現の舞台裏。事業課題から法改正へ
── まずは、吉川さんの現在のお立場と、これまでのキャリアについて教えてください。
吉川徳明氏(以下、吉川): 私は2024年6月末まで株式会社メルカリでパブリックポリシー(公共政策)の責任者を務めていました。同年7月に独立し、「PA Commons(ピーエーコモンズ)株式会社」を設立し、現在は独立した立場で複数の企業を支援しています。古巣であるメルカリやnewmo(ニューモ)をはじめ、金融、医療、交通など、規制の影響が強い業界の企業を中心にサポートを行っています。
ECやフリマサービスにも規制はありますが、金融や医療、交通といった領域は、法令が細かく整備されており、安全性や信頼性が強く求められます。こうした分野では、規制への対応を見誤ると事業へのインパクトも大きいため、「制度とどう向き合うか」「政策側にどう働きかけるべきか」という相談が多く寄せられます。
──具体的なルールメイキングの事例として、メルカリに在籍していた頃に取り組まれた「メルペイのAI与信」と「割賦販売法改正」のプロセスについてお聞かせいただけますか?
吉川: このテーマについては、最初からかなり深く関わっていました。きっかけは、事業側からの強い問題意識です。当時のメルペイCEOだった青柳さんから、「自分たちのデータを活用して、こういう形でAI与信を実現したい」という具体的なオーダーを受けたことです。
パブリックポリシーの仕事において、短期的な目標の比重が高い現場からボトムアップでこうした法改正の提案が出てくることは稀です。基本的には、より長期、一から数年のスパンで投資判断を行う経営レイヤーから課題として立ち上がってくる。パブリックポリシーの担当部署としては、経営層からこうした「本質的な提案」をいかに受け取れるかが、重要な成果を出すうえですべてだとも言えるかもしれません。
── 具体的にはどのようなロジックで制度変更を働きかけたのでしょうか。
吉川: クレジットカードなどの与信判断は、法律(割賦販売法)上、「支払可能見込額調査」を行うことが義務付けられています。従来、この調査は、原則として年収や持ち家の有無といった、自己申告に基づくものでした。つまり、かなり「ざっくりした情報」を前提に行われていたのです。
しかし、メルカリやメルペイには、ユーザーの利用実績など、はるかに精緻なデータが蓄積されています。「この膨大なデータを用いれば、従来よりも精度高く、かつフェアな与信判断ができるはずだ」。私たちは、そうした確信を持っていました。これは、メルペイが掲げていた「信用を創造して、なめらかな社会を創る」というミッションにも合致しています。従来の画一的な審査では弾かれてしまっていた人たちにも、テクノロジーの力で信用を届けられるようになるからです。
そこで法律側でも、従来の年収などによる調査だけでなく、こうしたデータを基準とした「AI与信」を正式な手法として認めてほしい、と働きかけることになったのです。
── その過程で、どういった部分がとくに難しい論点になったのですか?
吉川: 最大の壁は、「技術的に可能である」というだけでは認められない点です。 過去の歴史的経緯から、社会や行政は、クレジットカードや消費者金融における「過剰貸付」や「多重債務」の問題に非常に慎重です。
そのため、単にAIを使えるようにするだけでなく、「もし与信が過剰になったらどうするのか」「悪質な事業者が出てきた場合に、どうやって歯止めをかけるのか」といった、利用者保護に関する根源的な問いに答える必要がありました。
その結果、
• 事前には事業者を認定制でスクリーニングする
• 事後的には延滞率などの指標を継続的に公開させ、モニタリングする
という「事前・事後の両方のチェック」を制度に組み込むことになったのです。「技術として革新的であるか」だけでなく、社会的な安心・安全をどう担保するかという制度設計まで踏み込んだ議論が必要でした。
合意形成は「個社」から始め、「業界」に広げる
──AI与信においては、1社の課題からスタートし、法改正という業界全体のルール変更につなげていくプロセスをとられています。PAにおけるステップとしては、まず個社として動くべきなのでしょうか。それとも業界全体での動きが先なのでしょうか。
吉川: 私は、「まずは『個社』として動き、そのあとに『業界』へと広げていく」という順番が、現実的にはもっとも上手くいくと考えています。そもそも、ある法律上の課題が、政府として解決に動ける「筋がいい」課題かどうかは、事前にはわかりません。したがって、まずは自分たちの課題意識が支持や共感を集めるものなのかを政府との議論を通じて把握すべきだと思います。業界団体で意見を集約するのは次のステップであって、いきなり業界団体としてコストをかけて意見集約をして当局に持ち込んで「無理ですね」と言われると、日程調整などの負荷も含めて「空振りのコスト」が非常に大きいんです。まずは個社として、少人数かつ機動力のあるチームで「こういう方向性の法改正はどうでしょうか」と当局に軽く当ててみる。そこで「それは良い方向ですね」という感触が得られたら、「業界団体としての意見」へと広げていく。このステップを踏むほうが圧倒的に効率的です。
これは社内の決裁と同じです。上司に提案をあげるときも、いきなり全社を巻き込んだ会議をするのではなく、まずは頭出しをし、反応を見てから本格的な準備に入りますよね。それと同じで、こういったロビイングでも「最初は軽く当てる」「反応を見てから巻き込む」という順番が大切です。
また、ロビイングでは「どこに相談をすればわからない」とよく質問をもらうのですが、今この瞬間、相談先の議員や省庁の事情まではわからないため、正直「当ててみるしかない」と思っています。とくに初期段階では、高尚な戦略よりも「行動力」のほうが大切です。手広く声をかけ、反応の良し悪しを見極めて一次情報をもとに判断していく泥臭さが必要です。

── 実際に関係各所へアプローチする際、コミュニケーションで気をつけるべき点はありますか。
吉川:もっとも大切なのは、「課題を明確にすること」そして、「あなたたちは何に困っているのか」という課題が、相手にとってもはっきり伝わることです。
意外と多いのが、会社紹介とふわっとした悩み相談で終わってしまうパターンです。社内にいると自社の文脈が当たり前になってしまいますが、相手はまったく違う前提でビジネスをしています。その「情報の非対称性」を埋めないまま話すと結局何に困っているのかが伝わらないまま面談が終わってしまいます。
そのためPA担当者には、自社の課題を社会の言葉に「翻訳」する素質が必要だと思っています。まずは、狭い範囲でも良いので自社の課題を明確に言語化する。その上で、「自社だけでなく、ほかの事業者や生活者にとってどういうメリット/デメリットがあるか」と主語を広げて説明する。この順番が重要です。
PAやロビイングというとまだまだ「裏でずる賢いことをしているのではないか」と捉えられてしまうことも少なくないですが、これらの動きは「文脈を共有していない他者に対して、自分たちの課題を誤解なく伝える『翻訳』の機能」だと私は考えています。

スタートアップの事業成長と法改正。 異なる「時間軸のズレ」をどう埋めるか
── スタートアップは四半期ごとの成長を求められることが多いですが、法改正やルールメイキングには数年単位の時間がかかります。この「時間軸のズレ」を、組織としてどのように乗り越えればよいのでしょうか。
吉川: 四半期ごとに目標を策定するビジネスの時間軸とは異なり、公共政策やルールメイキングの成果は、そのスパンではほとんど見えません。数年単位で取り組んで、ようやく形になる仕事のため、経営陣が「成果が出るまで時間がかかる、長期的な取り組みである」と理解していることが何より重要です。
私がメルカリに入社したのは、当時社長(現会長)だった小泉さんが「経営直下にパブリックポリシーチームを作る」と決めていたからですし、現在newmoを支援しているのも、代表の青柳さんがこの機能の重要性を深く理解しているからです。
逆に言えば、経営者側にその理解と覚悟がなければ、どれだけ優秀なPA担当者がいても、高いパフォーマンスは発揮できません。「ボトムアップで社内の理解を得ていきたい」というお話もよく聞きますが、経営者の理解がなければ、その実現はかなり難しいと思っています。
──その時間軸の壁を超えるためには、どのような取り組みが必要なのでしょうか。
吉川:ほかの部署と同じロジックで「人員1人あたりの成果」を比較しようとしても、なかなかうまくいかないと思います。だからこそ、例えば経営直轄の組織として設置し、評価も経営側が直接行うといった「配置」と「評価の構造」が欠かせないと、私自身は考えています。
また、企業の成長フェーズによってもPAの役割は変わります。 成長初期や急成長期は、新しいサービスが社会に定着するまでの間、必ず摩擦が生まれます。フリマアプリが「そもそも何なのか」を理解されていない段階では、社会や行政側も「怪しいサービスではないか」「既存の法に触れないか」といった警戒心を抱きがちです。
そこで、サービスの仕組みや安全性を当局に対して丁寧に説明したり、トラブルを未然に防ぐルールを整備したりするなど、社会との摩擦を解消するための「調整役」としてのニーズが非常に高くなるのです。
一方で、サービスが社会にとって当たり前の存在になってくると、その必要性は相対的に薄れていく側面もある。同じ会社であっても、フェーズによってPAの位置づけは変化していくものです。
事業ピボットか、粘り強い継続か。企業のフェーズによる判断軸とは
── 規制改革には長い時間がかかるとはいえ、とくにスタートアップは「待てる時間」にも限界があります。政治的な難易度をふくめ、今の状況ではどうにも打開できないという壁にぶつかったとき、どのような打ち手が現実的なのでしょうか。
吉川:案件によっては非常に個別性が強く、政治的なハードルが高いものもありますし、既存の産業構造や関係性のなかで、どれだけ論理や情報を積みあげても、理屈だけでは動かせない「壁」が存在する場合もあると思います。
そうした壁に直面したとき、スタートアップが選べる方法は大きく分けて2つあると考えています。ひとつは、いったんは真正面からの突破をあきらめ、事業のアプローチを「ピボット(転換)」させるパターンです。たとえばある規制の解禁や緩和を待ち続けるのではなく、比較的さまざまなステークホルダーからの応援が得られやすい周辺領域へと事業の軸足を移していく。社会的な合意形成がしやすいルートへと変化していくアプローチです。
もうひとつは、ひとつのテーマに対して粘り強く時間をかけ、数年単位で実証実験を積み重ねてルールを変えていく「一点突破」を目指すケース。世の中からは、ある日突然ルールが変わったように見えるかもしれません。しかしその裏側には、行政などと連携してデータを集め、安全性やエビデンスを証明し続けた、膨大な「積み重ね」があったりします。外からは「短期間で変えた」と誤解されがちですが、実際には気の遠くなるようなプロセスを経ているわけです。
ただ、後者の「一点突破」を選ぶには、相当な覚悟と経営の胆力が必要です。「法改正されるかどうかわからない不確実な状況のなかで、お金と人を投資し続ける」という判断は、誰にでもできることではありません。自社の資金力やフェーズ、社会情勢を見極めながら、柔軟にピボットするのか、それとも退路を断って投資し続けるのか。その見極めこそが、経営者のもっとも重要な意思決定なのです。
正規のプロセスを経ても防げない「レッテル」の壁。SNS時代の「バイアス」にどう対峙するか
──現代のパブリックアフェアーズが直面している現状についても意見をお聞かせください。企業が正規の手続きを踏み、専門家と議論してルール形成を行った場合でも、SNSなどでの「イメージ」や「部分的な切り取り」によって批判にさらされるケースがあります。この「プロセスと世論の乖離」に、企業はどう向き合えばよいのでしょうか。
吉川: そこは私自身が今一番悩んでいる点であり、最大の難しさだと感じています。たとえば、正規の手続きを踏んで、当局、専門家、ステークホルダーと議論を積み重ねて実現した制度改正であっても、その詳細が理解されないままにSNS上で激しい批判にさらされることがあります。SNS上で批判にとどまらず誹謗中傷などにもさらされ、会社全体や、事業全体が「悪」であるかのように扱われてしまうことがあります。
さらに難しいのが、一度そうしたネガティブなレッテルが貼られてしまうとなかなか覆すことができず、そのイメージを持たれ続けてしまうことです。「一度ついたネガティブなイメージがなかなか変わらない現象」をどう変えていくべきか。その解決策がいまだ見えていないことに、解決の難しさを感じています。
たとえばある企業のサービスや製品について、過去に一度でも「品質に問題がある」「ユーザーに対して不誠実だ」といった評判が広まってしまうと、その後、企業努力によって実際には改善されていても、世間一般のイメージはなかなかアップデートされません。私自身、過去に自社への批判を「誤解だ」と感じたことがある一方で、いち消費者としては、他社の過去のネガティブな話題を自分自身も引きずり、バイアスを持ったまま接してしまっていたことに気づいたこともあります。
──非常に悩ましい問題ですが、どのように対処していけばよいのでしょうか。
吉川: 理想を言えば、正規のルールメイキングのプロセスと、SNS上の反応をある程度切り分けて考えるべきだと思っています。現在のSNSではアルゴリズムによって「強い言葉での批判や誹謗中傷」などの投稿の方が注目される仕組みになっているため、フェアに判断することが難しくなっています。SNSを参考の一部に留めながらも、あくまで、法令にもとづく正式な手続き、専門知と論理を持った議論など「確かなプロセス」のなかで物事を決めていくことが非常に重要です。
ただ、SNS上の議論が社会にインパクトを持つこともありますから、完全に無視することもできません。だからこそ企業や政策当局は、確実なプロセスや長期的な視点を大事にしながら、SNS上の声を「全て」ではなく「一部」として捉えること。慎重に扱うこと。過剰に動揺しすぎず、かといって軽視もせずといった難しいバランスをとり続けること。これが、これからのPA担当者や経営者に求められるのだと思います。
── 本日は、具体的な事例から現代的な課題まで、幅広くお話を伺えました。最後に、PAに取り組む担当者や経営者へのメッセージをお願いします。
吉川: まずお伝えしたいのは、「ルールは『目的』ではなく『手段』であり、変えることができる」ということです。
現状のルールが時代の変化に追いついていなかったり、誰かを不当に排除していたりするなら、それは変えるべき局面にきているかもしれません。重要なのは、「決まっているから」と諦めるのではなく、「そもそもの目的は何か」「どう変えれば社会がより良くなるか」を問い直す姿勢です。
そしてもうひとつはやはり、パブリックアフェアーズの活動に対する経営の「理解」です。社会の仕組みを変えるには、長期的にコミットし、何度断られても粘り強く動き続ける必要があります。それでもなお、社会のなかで「おかしい」と感じる現状を変えようと挑む人たちが、適切に報われる環境を、少しずつでもつくっていきたいと思っています。



