見て学ぶ機会が失われている? 経験が「意味をもつ」まで─【連載】学びのレンズをかけかえる 第2回

見て学ぶ機会が失われている? 経験が「意味をもつ」まで─【連載】学びのレンズをかけかえる 第2回

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16分

キャリアを振り返ると、記憶に焼き付いているのは、華々しい成功よりも、むしろ「痛い失敗」の方だったりします。不思議なのは、ただの挫折として忘れてしまう失敗と、後から思うと「あれがあったから今がある」と確信できる失敗があることです。両者を分けるものは、一体何なのでしょうか。

第1回では、行動主義・構成主義・状況的学習観という三つのレンズを用いて「学び」を見渡しました。

3つの学習観から見えてくる学びの多層な姿─【連載】学びのレンズをかけかえる 第1回

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では、ここで整理をした深い学びはどのようなときに起きるものなのでしょうか。
「痛い失敗」や「新しいコミュニティに所属(越境)」すれば必ず起きる、というわけではなさそうです。

今回は、こうした深い学びがどのように起こるのか、そのプロセスに着目します。プロセスを捉えることで、実際の組織やチームにおける「学びの場」の設計へのヒントを探っていきましょう。

学びは周辺から始まる──正統的周辺参加と観察・模倣

あなたが就職や異動、転職を通して、新しいチームに加わった初日を思い出してみてください。

不安とワクワクの気持ちと共に、まずは組織を観察する時間があったはずです。これまでとは違う文化・ルール、やり方の中で、まずは観察をしながら、何が行われ、何が評価されるのかを探る状態──。
ジーン・レイヴとエティエンヌ・ウェンガーは、このようにまだ権限や責任を負わない立場でありながら、共同体に正式メンバーとして受け入れられた状態を正統的周辺参加(Legitimate Peripheral Participation)と呼びました。正統的周辺参加は第1回でも取り上げた状況的学習観(situated learning theory)の代表的な理論の一つでした。

ここでおさえておきたいのは、いきなり活躍をすることではなく「周辺にいること」そのものが、すでに学びであるという点です。

単なる見学ではなく、共同体が共有する価値観・歴史・暗黙知に合法的にアクセスし、身体を通じてそれらを獲得するプロセスこそが、正統的周辺参加の核心に当たります。ここでのポイントは「参加」であり、単なる観察者でなく、共同体に貢献する実践的関与者であることが大切です。


例えば新人コンサルタントがプロジェクト初期に議事録係を務める場面を想像してみましょう。議事の要点を拾いながら、上司がどのタイミングで質問を挟み、どの語彙を選ぶのかを追体験する過程は、まさに正統的周辺参加の様子をあらわしています。この観察と模倣を繰り返すうちに、質問タイミングという“間合い”や業界や会社特有の“温度感”などが徐々に身体に馴染んでいき、次段階での発言や提案の基盤になるのです。

もし逆の状況として、いきなりプロジェクトに主要メンバーとして参加することになった場合や、会議に参加しても何の役割も与えられていないケースを想定するとどうでしょうか。


唐突に中心的な存在として参加を求められる場合には、何がその共同体が共有する大事な価値観であるかといった、足場となるような学習機会がなく、これまでの慣習で対応することになるでしょう。また、役割を持たずに見学をすることでは、自分ごととして捉えるような「参加」感覚や学習は進みにくいとされます。

つまり、あるコミュニティや組織に属する中での学びの足場として、プロセスへの参加を通しての観察と模倣が不可欠なのです。これは、当人の職責や経験の有無によらず重要なプロセスです。
経験豊富なメンバーが外部から転職した場合、周囲が「お手並み拝見」となり学習機会が十分に設定されずに本人任せになってしまうことや、本人も新しい環境で「活躍しなければ」という焦りなどから、こういったオンボーディングのプロセスがないがしろになってしまうケースは少なくありません。

この機会をどのようにデザインし、仕事のプロセスに織り込むか、ここが組織における学びを考えるうえでは重要といえるでしょう。リモートワークにおける「他の人の働き方を見ることができない」「会議資料が公開されておらず情報にアクセスできない」などの状況は、メンバーの正統的周辺参加を妨げているかもしれません。

またこうした「共同体内での観察と模倣」から始まる学習は、必ずしも一方向的に「中心」へ進むとは限りません。

ウェンガーは後年、学習者が共同体とどのような距離感で関わり続けるかを「五つの参加軌道」として整理しました。この整理からは、学習者と共同体の関係は習熟をしていく、つまり周辺から中心に向かう1つの軌道だけではなく、多様な在り方がありうることが示唆されています。

例えば向中心軌道は、プロジェクトメンバーがリーダー補佐を経て正式なプロジェクトマネージャーを目指すように、新人が十全的参加(共同体の活動に全面的に参加し、中心的な役割を担うこと)を期待されて入ってくるときの軌道です。
境界横断軌道は、境界をまたぐ価値を発見し、実践共同体をつなぐような軌道です。たとえば営業出身者が開発部門にも籍を置き、両部門の情報を橋渡しするクロスファンクション型の動きや、前回も取り上げた越境学習などをイメージしてみてください。

このように一つの組織と個人の関係性をとっても、多様な学びの軌跡が存在するのです。

なお、生成 AI の進展により、正統的周辺参加のプロセスがどのように変化していくのかについては議論が進んでいます。生成 AI ツールは新しく組織やコミュニティに属したメンバーに、迅速な情報アクセスや実践機会を提供してくれます。
その一方、例えば従来は議事録作成などで担保されていた観察と模倣の機会が減少し、周辺的参加が希薄になる側面も、同時にはらんでいるといえるでしょう。

学びは問い直しによって深まる──省察的実践と専門性の更新

正統的周辺参加では、組織・コミュニティに新たに参加したメンバーが様々な軌道を通して学んでいく過程をみてきました。ではそのような新規参入者ではなく、習熟した「専門家」はどのように学びを深めていくのでしょうか。

この問いに対し、教育学者ドナルド・ショーンは、専門家のあり方を二つのタイプに分けて考えました。

ひとつは「技術的熟達者(technical expert)」です。彼らは既に確立された知識や理論、手順をもとに、目の前の課題に“正解”を当てはめていくように対応します。
たとえば、マニュアルや過去の事例に従って問題を処理しようとする専門家像がこれにあたります。問題が明確で、解法が決まっているような場面では、このタイプの専門性は大いに力を発揮します。

こうした知識の適用が有効なのは、「問題の定義も解決法も明確な課題」、すなわち技術的問題(technical problem)に対峙するときです。しかし、リーダーシップ論で知られるロナルド・ハイフェッツが指摘するように、現代の実践現場では「何が問題かさえ明らかでない」ような適応課題(adaptive challenge)が数多く存在します。
そこでは既存の知識だけでは太刀打ちできず、問題の定義そのものから見直す必要が出てくるのです。

このような複雑で曖昧な状況において力を発揮するのが、ショーンの言う「省察的実践家(reflective practitioner)」です。
彼らは、実践の途中や後に生じる違和感やずれに耳を澄まし、それを手がかりに、自らの意味づけや行動の枠組み(フレーム)を問い直します。ショーンはこの過程を「行為中の省察(reflection-in-action)」と「行為後の省察(reflection-on-action)」として整理しました。

「行為中の省察(reflection-in-action)」とは、まさに実践のさなかに起こる思考の働きです。進行中の出来事に違和感や意外性を覚えたとき、その場で自分の判断や行動を見直し、即興的に修正を試みるプロセスを指します。
たとえばファシリテーターが参加者の反応から「この進め方では意図が伝わっていない」と感じ取り、その場で問い方や流れを調整するといった対応が、行為中の省察にあたります。経験や理論に基づきながらも、その都度判断を上書きしていく柔軟さが求められます。

一方で「行為後の省察(reflection-on-action)」は、実践が終わった後に振り返ることで、出来事の背景や自分の振る舞いの前提に気づき、それを次の行動設計に活かすプロセスです。
たとえば、あるプレゼンテーションがうまくいかなかったとき、その原因を「話し方」や「資料の構成」だけでなく、「そもそも相手の関心領域を把握していなかったのではないか」といった視点で振り返り、次回はヒアリングフェーズから見直す、といった判断につなげるようなケースです。
このように行為後の省察は、単なる反省ではなく、前提にあった“ものの見方”や“問題の定義の仕方”を捉え直す行為でもあります。

CULTIBASEでも、こうした省察(リフレクション)のプロセスは「自分の行為や経験の本質を見出し、より良い次の行動に活かすための意味づけの営み」として重要な活動だととらえています。

リフレクションとは何か:連載「リフレクションの技法」第1回

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省察は、暗黙的に持っていた前提を明るみに出し、必要に応じて書き換えていく過程であり、そこに専門性の拡張が生まれます。省察的実践家は、既知の枠組みでは捉えきれなかったり、専門性の適用範囲を超えるような事象に対して、「専門外」と捉えるのではなく、果敢に取り組み、省察を通じて再解釈し、専門性を拡張していく態度ともいえるでしょう。

このような視点から捉えると、正統的周辺参加やその後に続く五つの参加軌道で描かれた学びの軌跡は、「どのように共同体に関わっていくか」だけではなく、「どのように意味づけを問い直しながら、自らの実践をアップデートしていくか」という問いとも重なってきます。

たとえば、中心に向かう軌道を歩んでいたある中堅社員が、ある失敗体験を通して「このやり方は正しいのか?」と立ち止まり、過去の成功体験に頼っていた判断基準そのものを見直す。こうした省察を経て、自らの専門性を再構築していく姿は、単に役割のレベルが上がることとは異なる、内面的な成長としての学びといえるでしょう。

このように、参加を通じて形成された経験を、そのまま受け入れるのではなく、省察を通して繰り返し意味づけし直していくこと。それこそが、専門性を“完成させるもの”ではなく“更新し続けるもの”として捉える鍵となります。


学びは視座の転換によって拓かれる──組織を超えて社会を構想するまなざし

省察を通じて専門性を更新する実践者のあり方を見てきましたが、組織においてはさらに異なる水準の学びが求められる局面があります。
それは、実行者・実践者として成果を生み出す役割から、組織の方向性や社会との関係性を設計する立場へと移行する局面です。多くの組織で経営人材の育成が課題となる背景には、この移行の難しさが横たわっています。

ここでは「事業リーダー」と「企業リーダー」という2つの役割で、この難しさを整理しましょう。
事業リーダーとは、特定の事業や部門を担い、目の前の目標達成や事業成長に責任を持つ人を指します。
対して企業リーダーは、複数の事業や部門を統括し、企業全体の持続的な成長と社会との関係性を構想する役割を担います。このふたつの役割は、必要とされる視座や意思決定の前提が大きく異なります。

この違いを理解するのに有効な理論が、スチュアート・ブランドの「ペース・レイヤリング(Pace Layering)」です。この理論では、社会の変化が流行、商習慣、インフラ、ガバナンス、文化、自然といった階層に分かれて進行しており、それぞれの変化速度には大きな差があるとされます。表層の変化(流行・テクノロジーなど)は速く、深層の変化(文化・環境など)はゆっくりと進みます。

事業リーダーは、速いレイヤーの変化をいち早く捉え、具体的な戦略やアクションに反映させることが求められます。顧客のニーズ、競合の動き、事業モデルの変化など、目の前の動きに応答しながら成果を出すことが重視される立場です。

一方、企業リーダーに求められるのは、変化の全体像を複層的に捉える力です。
特定の市場やKPIだけに目を向けるのではなく、自社がどのような文化や制度、社会的役割の中に位置づけられるのかを把握し、そこに対していかなる責任を果たしていくかを構想する必要があります。
たとえば、顧客を「ユーザー」ではなく「生活者」として捉える、ステークホルダーを「利害関係者」ではなく「生態系の一部」として見るといった視点が問われます。

こうした視座の移行は、単なる知識の習得では実現しません。

過去の成功体験や判断基準を相対化し、自分の前提や価値観を見直すような学びが必要になります。すなわちこれは、実践的な成果を通じた省察にとどまらず、自分が世界をどう理解し、どのような理念や信念に立って意思決定をするのかという「経営観」の形成に関わる学びです。

こうした視座の転換には、外部環境へのまなざしだけでなく、自分自身の内面に向き合うことも含まれます。
成果を上げることで築き上げてきたスタイルや信念を一度相対化し、「何を大切にして経営に関わるのか」「この会社を通じて何を実現したいのか」といった問いを立て直す必要があるのです。

このプロセスでは、自らの強さや確信を一度手放す必要も出てきます。
つまり、ある領域で高い専門性を発揮してきた実践者が、より広い視野を獲得するためには、これまで有効だった考え方やスタンスを一度手放し、異なるレイヤーの論点に開かれていくプロセスが不可欠です。この変化は、単なる知識やスキルの追加ではなく、自分の見方や立ち位置そのものを問い直す学びとして位置づけられるでしょう。

このような自分の価値観やものの見方を相対化し、客観的にとらえるには、1人での内省だけでなく、他者との比較も有効です。
対話を通じて他者と異なる自分の視点を認識し、自身の中にある矛盾や葛藤を安易に整理せずに保持するような学びが必要となります。このようにして、内面に問いを持ち続けながらも、外部環境との関係性を構想する力が、企業リーダーには求められるのです。

実はこうした視座は、公式の役割として複数部門や経営を担うかどうかに関わらず、自身が仕事を通じて、社会とどのように関わっていくのかを考えるのに必要な視座でもあるといえるでしょう。


学びのプロセスを3つのフェーズで捉え直す

本稿では、学びのプロセスを3つのフェーズで捉えてきました。
まず、コミュニティへの新規参入者として、観察と模倣を通じて文化や価値観を身体化していく「正統的周辺参加」。
次に、習熟した実践者が違和感や矛盾を手がかりに、自らの行動や前提を省察しながら専門性を更新していく「省察的実践」。
そして、事業単位の成果にとどまらず、社会における自社の存在意義や、自身の内面的な価値観に基づく経営観を問う「企業リーダー」への転換。

これらのプロセスに共通するのは、いずれも “外から与えられた知識” を受け取るだけでは起こらず、何らかの越境やズレ、葛藤といった関係性のなかに生まれる揺らぎがトリガーになっている深い学びという点です。

学びとは、予定調和の中にあるのではなく、自分の前提が揺さぶられたときにこそ駆動する営みなのだと改めて認識させられます。
変化の契機は、必ずしも明確な目標や計画によってだけ生まれるわけではありません。むしろ、自分の理解が通用しない場面に出会い、その意味を考え直すことが、学びの出発点となるのです。

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