「学ぶ」とは、行動が変わることなのか?
「学びとは何か?」という問いに対して、多くのビジネスパーソンは「新しい知識を得ること」「行動が変わること」あるいは「成果が出ること」と答えるかもしれません。そして、それは決して間違っているわけではありません。実際、経営や人材育成、組織開発の実務では、学習成果が可視化されやすい「行動の変化」や「業績の向上」といった成果指標に焦点が当てられることが一般的です。
しかし、私たちが日々の仕事の中で抱く違和感は、この問いが決して単純ではないことを物語っています。
たとえば、感銘を受けた書籍を読んだ結果、内面に確かな変化が芽生えたとき、それは学びと呼べるのではないでしょうか。さらに、「勉強はしていないし学びも好きではない」と言いながらも、仕事で多くのことを考え、振り返り、その経験を後輩にも熱心に伝える人は、果たして学んでいないのでしょうか。
学習とは、単に知識やスキルを習得する営みにとどまらず、人が変容していくプロセス全体を含む、はるかに豊かな概念であるはずです。
本連載では、「学びとは何か?」という問いに対して、学びに対する考え方の “レンズ” をかけかえながら、個人と組織の学びがどこで・どのように生まれ、変容していくのかを探究していきます。
第1回では、教育心理学と組織学習論の文脈から代表的な三つの学習観──「行動主義」「構成主義」「状況的学習観」──を取り上げ、個人や組織にとっての学習を「行動変容」だけでなく「意味づけの再構成」や「アイデンティティの変容」として捉え直すことの重要性を示します。
行動が変われば学んだことになるのか?──行動主義からの出発
学習の歴史を遡ると、その初期において学習とは「観察可能な行動の変化」であると定義されていました。これは20世紀初頭のアメリカ心理学における行動主義(behaviorism)に由来します。
ジョン・B・ワトソンは「心理学を客観的な実験科学とする」ことを志し、人間の内面(思考・感情)ではなく、外から観察できる行動を学術的対象とする姿勢を徹底しました。
その後、B.F.スキナーによって「オペラント条件づけ」という概念が提唱され、望ましい行動に報酬を与えることで反応を強化する手法が確立されます。教育現場や企業研修においても、これらの理論に基づき、「インストラクション(指導)→練習→フィードバック→強化」という明確な構造が採用されてきました。

たとえば、営業スキル研修でのトークスクリプトの定着、接客業での応対プロトコルの習得、製造業での作業手順の反復などがその例です。
このモデルでは「望ましい行動」が明確に定義されており、それに近づくことこそが「学び」とされます。現代のビジネス環境においても、具体的に望ましい行動がとれるように、指導・フィードバックしたりトレーニングしていくことが重要な側面ももちろんあります。
しかし、このモデルの限界も見逃せません。
環境が急激に変化する現在、「過去にうまくいったやり方」を繰り返すだけでは、新しい問題に対処できない場面が増えています。さらに、形式的な行動だけでは内面的な納得感や意味づけが伴わないまま「やらされ感」ので指示待ちや、正解探しとなってしまうこともあります。
このように行動主義が学習を「外から見える行動変化」に絞って捉えたのに対し、 「内的な意味づけと経験の再構成」 に光を当て、学習プロセスをより多層的に理解しようとしたのが、同時期から徐々に台頭した構成主義です。
「意味の構築としての学び」──構成主義の視点
構成主義(constructivism)における学びは、学習者が自身の経験や既存知識をもとに、新たな意味を構築していくプロセスであるとする学習観です。その理論的な骨格を体系化した代表的な人物が、スイスの心理学者ジャン・ピアジェ(1896–1980)です。
ピアジェによれば、私たちは「世界をわかったつもりの型」に出来事を当てはめて(=同化)、それでは説明できないズレに直面すると、型そのものを書き換える(=調節)ことを繰り返して学んでいます。
たとえば、小学生が「星=夜空にある光る点」だと思っていたのに、科学の授業で「太陽も星の一つ」と知ったとき、その“わかっていたつもり”が揺さぶられ、認識が更新される──これがピアジェ的な学びの瞬間です。
一方で、「経験を通じて意味を構築する」という視点を、教育実践の中で早くから展開していたのが、アメリカの哲学者ジョン・デューイ(1859–1952)です。
彼は学習を「経験」に根ざした行為と捉え、「成すことによって学ぶ(learning by doing)」という姿勢を重視しました。デューイの教育思想は、衝動・観察・判断・目的形成という循環的プロセスと、そこに伴う「リフレクション(内省)」の重要性を指摘しています。
実践のさなかや直後に立ち止まり、経験の中に芽生えた “衝動” や “問い” をリフレクションによって意味づけし直す──この往復運動こそが学びの核心である、とデューイは説きました。
デューイが提唱した「経験に根ざした学び」は、〈やってみる〉という実践を出発点に置きながらも、単なる反復練習──いわゆる「這い回る経験主義」──に陥ることを戒めています。こうして実践と内省が縒り合わさるプロセスは、教育を「人生の探究」へと深化させる足場になります。

一方で、こうした哲学的な学びのプロセスを、実際の教育・研修現場で活用できるように整理したのが、教育理論家デイヴィッド・コルブ(David A. Kolb)です。
コルブは、デューイやピアジェの理論を土台に、「経験→省察→概念化→試行」という4段階の循環モデルを提示し、経験学習を実務で再現可能なフレームとして体系化しました。
今日ではこのモデルが、人材育成や組織学習の現場で“経験から学ぶ”方法の基本形として広く使われています。

CULTIBASEにおいても、「経験」と「内省」の往復を通じて意味を再構築するプロセスこそが、個人と組織の変容に不可欠な学びであると考えており、構成主義は重要な事物の捉え方です。
参考:経験学習については、以下の記事も是非あわせてご覧ください。

経験学習サイクルの3つの誤解:連載「組織学習の見取図」第2回
学びとは関係性の中で変わること──状況的学習観とアイデンティティの変容
ここまで見てきた行動主義や構成主義は、それぞれ学習を「観察可能な行動の変化」と「学習者の内面で行われる意味の構築」として描いてきました。
前者は外側に現れる行動を通じて、後者は内側で生じる意味づけを通じて学習を測ろうとしますが、どちらも “個人を主たる単位” として学習を説明している点では共通しています。
しかし私たちは、実際には特定の職場やチーム、プロジェクト、制度や文化といった“状況”の中で、他者と関わりながら学んでいます。どこで、誰と、どのような実践に関わっているのか──そうした状況との関係性とその変化こそが、学びの内容やあり方を大きく規定しているという捉え方もできます。
状況的学習観(situated learning theory)は、まさにこの「学習は状況に埋め込まれた実践のなかで起きる」という前提に立ちます。
【補足】
構成主義においても、ピアジェの学習が個人の中で知識や意味が再構成されることに着目しているのに対し、レフ・ヴィゴツキーに代表される社会構成主義では、他者との対話や協働などの相互作用によって内面化されるプロセスに着目しています。
「発達の最近接領域(ZPD)」という他者の支援があれば可能な領域を指摘し、それがやがて1人でできるようになるプロセスをたどるとき、学びの場は個人に留まらず、人と人の間にある相互作用にあると考えることができます。
参考:構成主義については、以下の記事も是非あわせてご覧ください。

構成主義ってなに?:ファシリテーターの学習観(前編)
ここでの学びは、単に知識を得たりスキルを習得することではなく、ある実践共同体に周縁から関わり始め、次第に中核へと移行していくプロセスそのものです。
例えば、大企業に新卒入社したビジネスパーソンが、最初は議事録作成や資料修正といった周辺業務を担いながら、徐々に顧客折衝やプロジェクトマネジメントを任されるようになる──その軌跡自体が学習だといえるでしょう。
そのような関わりを通じて、「私は誰としてこの場にいるのか」「何を大切にしているのか」といった自己の在り方──すなわちアイデンティティ──が変容していく。
この“実践への参加を通じた変容”こそが、状況的学習の本質であるとされます。
ジーン・レイブとエティエンヌ・ウェンガーが提唱した「正統的周辺参加(legitimate peripheral participation)」はその代表的な概念です。

新しい実践共同体に加わるとき、私たちは最初は周辺的な立場で関わりながら、少しずつ中心的な役割を担うようになります。このプロセスの中で、知識やスキルの習得だけでなく、「自分がこの共同体の一員である」という自己認識の変化──すなわちアイデンティティの変容が起きるのです。
このように、学習は単にスキルの習得や情報の取得ではなく、「私はこうありたい」という願望や自己認識、「私はこう見られている/こう関わっている」という社会的認知と不可分に結びついています。
特に現代においては、一人の人間が複数のコミュニティを横断しながら働くことが当たり前になっており、「越境学習(boundary crossing)」という実践が注目されています。
個人はその過程で、場ごとに異なる規範や期待と出会いながら、自己のアイデンティティを再構成していく──この動態こそが学習であり、そこには常に「何者でありたいか」「何を大切にしたいか」という深い問いが潜んでいます。

越境学習による複数コミュニティの横断モデル(石山, 2018)
個人が複数の実践共同体を横断しながら、経験とリフレクションを通じて自己を再構成していくプロセス。
参考:越境学習については、以下の動画も是非あわせてご覧ください。

『越境学習入門』
さらに心理学・文化心理学の領域では、こうした「複数の場における自己の編み直し」を 多元的自己(polyphonic / dialogical self) と捉えます。
人は内面に複数の“声”を宿し、それぞれのコミュニティで得た視点や価値観が対話し合うことで、新たな自己像が生成され続ける──まさに越境経験と多元的自己は表裏一体のプロセスです。
現代において一般化してきている組織・個人の越境的な働き方は多声的な自己を耕し、矛盾も包摂する多様な自分を「ホールネス」として捉えていくことは、創造性を高める土壌づくりでもあると考えられます。

あなたの“学び”は、どこに立っていたか?
行動主義・構成主義・状況的学習観という三つの学びの視座を一通り見渡してきました。それぞれが、学習とは何かを異なる角度から照らし出してくれます。自分にとって馴染みの考え方、そうでない考え方もあったのではないかと思います。
知識やスキルを得ること、経験を意味づけること、他者との関わりのなかで自分の在り方が変わっていくこと。学びには、こうした多層的な変化があるということを、少し立ち止まって考えてみたくなるのではないでしょうか。

次回は、こうした理論的視座が、実際の組織やチームにおける「学びの場」をどう設計しうるのかを探っていきます。
たとえば、ある学習の機会が「行動の変化」を促すものなのか、「意味づけの変容」を支えるものなのか、それとも「アイデンティティの更新」に関わるものなのか──そうした問いが立てられるとしたら、現場での学びのデザインはどう変わるのでしょう?
理論と実践のあいだを行き来しながら、学習の場に潜む“構造”を読み解いていきましょう。