正直、ソクラテスは、避けてきた...。これが、私の本音だ。
私が「対話の思想家」だと考える人物の対話観を紹介してきた本連載。
実は、いつも脳裏に浮かんでいたのが、ソクラテスの存在であった。
「対話」といえば、ソクラテス。
そう思う人は、決して少なくないだろう。私もその一人だった。触れるべきだとわかっているのに、触れたくない。腰が重い。おそらく膨大な著作と研究がある中で、どこから手を伸ばせばいいのか分からない感覚があったからだろう。
そんなある日、古本屋で一冊の本と出会った。田中伸司氏による『対話とアポリア』¹である。序章の冒頭には、こう書かれていた。
ソクラテスの対話による探求はいつもアポリア(隘路, 行き詰まり, 困難)に陥る。²
私は、ソクラテスの対話は「真理を目指している」という漠然なイメージだけを持っていた。しかし、真理に辿り着くどころか、必ず行き詰まるという。一体どういうことなのか...。
こうして古代ギリシャのソクラテスを取り巻く巨大な霧の中、「アポリア」というキーワードを手がかりに、私のソクラテスの対話観を探る旅がはじまった。
結論から言うと、ソクラテスの対話観は
- エレンコス|論駁
- アポリア|行き詰まり
- マイエウティケー|産婆術
の三段階で記述することができるのではないかと私は考えている。
それでは、ソクラテスの対話観に迫ってみよう。
ソクラテスの「対話」は、対話ではなかった!?
ソクラテスについて調べはじめた私は、初っ端から衝撃的な一文と出会った。思想家・批評家の柄谷行人による次の言葉だ。
ソクラテスの問答は通常「対話」と呼ばれるものとは異質である。それは異なった意見をもった者が話し合い、説得しあうというようなものではまったくない。ソクラテスは問うだけであるから。ソクラテスの問答法はプラトンの著作を通して知られているのだが、実際は、それはプラトンの「対話」に書かれたようなものではなかった。(...)他者との対話がこんなに都合よく完結するはずがないのだ。³
私たちがイメージするソクラテス像は、弟子のプラトンが描いた対話篇を通して形づくられていることが多い。しかし、柄谷は、実際のソクラテスの「対話」は、対話と呼べるものではなかったという。
例えば、哲学史家のディオゲネス・ラエルティオスは、ソクラテスが無理に「対話」を迫ったがために、人びとから鉄拳で殴られたり、髪の毛を引っ張られたり、馬鹿にされて嘲笑されることもしばしばあった、と述べる。⁴
また、ソクラテス自身も自分を「アブ(虻)」に喩えていたらしい。プラトンによる『ソクラテスの弁明』の中で、彼はこう語っている。⁵
私は神によってポリスにくっ付けられた存在なのです。大きくて血統はよいが、その大きさゆえにちょっとノロマで、アブのような存在に目を覚まさせてもらう必要がある馬、そんなこのポリスに、神は私をくっ付けられたのだと思うのです。その私とは、あなた方一人ひとりを目覚めさせ、説得し、非難しながら、一日中どこでもつきまとうのをやめない存在なのです。⁶
ソクラテス本人も自分が厄介者であることに気づいていたのだろう。街ゆく人々に、誰ぞ構わず議論をふっかけ、相手を打ち負かしていく。それこそが、ソクラテスの「対話」であった。
つまり、ソクラテスの対話は、現代の私たちの感覚からすると、「対話」というよりかはむしろ「論駁」(ろんばく)という言葉がふさわしいように思える。⁷
では、ソクラテスの「論駁」とは、いったいどういうものだったのか。見ていこう。
ソクラテスは「論駁」がしたかったのか?
ソクラテスの「対話」は対話ではなく「論駁」だった。では、「論駁」とは何だろうか。論駁は、古代ギリシャ語で「エレンコス」と呼ばれる。
岡山大学客員教授・弁護士の京野哲也は「論駁(エレンコス)の基本的な方法的特徴」について、以下のように記述している。
ソクラテスは対話相手自身の信念 p を命題として対話の場に引き出し、次にソクラテスが提出しその相手自身も同意する他の前提命題 q、r ···(の連言)から、当初の信念 p の否定 not-p が帰結することを相手に同意させる。⁸
少し難解な表現ではあるが、言いたいことはシンプルだ。まず、相手の主張がある。そして、ソクラテスは異なる文脈や前提から問いを重ねることで、小さな同意を少しずつ積み上げていく。その結果、相手が最初に言っていた主張とは、真逆のことをうっかり言ってしまう。こうして矛盾が露呈し、論駁されてしまうのである。

例えば、プラトンの『ゴルギアス』にも、その様子はありありと見て取れる。
アテナイ(現アテネ)で活躍していた弁論家ゴルギアスとソクラテスとの対話の場面。二人は「弁論術」について対話している。ゴルギアスは「弁論の心得がある者は、不正はしない」と最初は言っていた。しかし、ソクラテスとの問答の結果、「弁論家は、弁論術を不正に使用することもある」と言い、矛盾が露呈する。そこで、ソクラテスは次のように言い放つ。
わたしとしては、あなたがあのときにそのように言われた際には、弁論術というものは——それはいつも正義について論ずるものだとすれば——決して不正なことをなすものではありえないだろうというふうに、受け取っていたのでした。ところが、少し後になって、弁論家は弁論術を不正に使用することもあるだろうと言われたので、それでわたしは驚いてしまって、そしてそれらの言葉は互いに調和しないと考えたものですから、あのようなことを言ったわけでした。⁹
こうしてゴルギアスは論駁される。しかし、ここで素朴な疑問が残る。ソクラテスは果たして「論駁」をしたくてやっていたのだろうか。いや、必ずしもそうではなかったのかもしれない。現に、ソクラテスは相手を論駁(以下の引用では「反駁」)することを恐れていた。
わたしが恐れるのは、あなたを反駁することで、わたしが事柄そのものを目ざして、それが明白になることを狙っているのではなく、あなたという人を目標にして、議論に勝ちたいばかりにそう言っているのだと、こうあなたが受けとられるのではないかということなのです。¹⁰
ここに、ソクラテスの真意がある。彼は「事柄そのもの(=真理)」を明らかにしたいだけなのだ。実際、彼は相手の言葉を執拗なまでに「よく聴く」。相手の発言を正確に引き受けなければ、どこに矛盾が生じているのかをともに確かめることもできないからだ。
彼が本当にしたかったのは、「私とあなた」が協力して、二人の間にある「矛盾(=偽り)」を退け、「真理」という共通の目標を、曇りのない目で見定めることだったのではないか。
つまり、ソクラテスにとっての論駁とは、剣で相手を突くことではない。絡まってしまった「思考の糸」を根気強く、解きほぐそうとする営みなのだ。
そう捉えると、ソクラテスの「論駁」という営みの見え方が一変する。それは一方的な「攻撃」などではない。「あなたと共に真理を確かめたい」。そんな思いをもったソクラテスからの、不器用なほどに真っ直ぐな、真理への共同探求の招待状だったのである。

アポリア(行き詰まり)という通過点
こうしてソクラテスとの対話は、論駁された相手の矛盾が露呈し、最終的にアポリア(行き詰まり)に辿り着く。しかし、このアポリアは、ソクラテスにとって向かうべき中間地点でもあった。『対話とアポリア』の著者・田中伸司は、こう言う。
ソクラテスの探求はたんに対話相手への説得や合意の形成を目指しているのではなく,むしろ対立をはらみつつアポリアを生じさせることへと向っている¹¹
つまり、「論駁」は「アポリア」に向かうための手段だったと言える。
では、行き詰まりを意味する「アポリア」とは、どのようなものなのか。
プラトンの『メノン』には、「徳」について論駁されたメノンがアポリアに辿り着き、途方にくれる様子が描かれている。
ソクラテス、お会いする前から、かねがね聞いてはいました——あなたという方は何がなんでも、みずから困難に行きづまっては、ほかの人々も行きづまらせずにはいない人だと。げんにそのとおり、どうやらあなたはいま、私に魔法をかけ、魔薬を用い、まさに呪文でもかけるようにして、あげくのはてに、行きづまりで途方にくれさせてしまったようです。¹²
続けてメノンは、ソクラテスを「シビレエイ」に喩えて、こう言い放つ。
あなたという人は、顔かたちその他、どこから見てもまったく、海にいるあの平べったいシビレエイにそっくりのような気がしますね。なぜなら、あのシビレエイも、近づいて触れる者を誰でもしびれさせるのですが、あなたがいま私に対してしたことも、何かそれと同じようなことのように思われるからです。なにしろ私は、心もロも文字どおりしびれてしまって、何をあなたに答えてよいのやら、さっぱりわからないのですから。¹³
メノンは、まるで「シビレエイ」のようなソクラテスのせいで心もロも痺れてしまい、行き詰まった、と訴える。それは、前にも後ろにも進めず、その場に立ち尽くすしかない状態だと言える。しかし、ソクラテスも自身が「シビレエイ」であることを認めながら、こう返す。
道を見うしなっているのは、まず誰よりもぼく自身であり、そのためにひいては、他人をも困難に行きづまらせる結果となるのだ。いまの場合も例外ではない。徳とは何であるかということは、ぼくにはわからないのだ。君のほうは、おそらくぼくに触れる前までは知っていたのだろう。いまは知らない人と同じような状態になっているけれどもね。だがそれでもなおぼくは、徳とはそもそも何であるかということを、君といっしょに考察し、探求するつもりだ。¹⁴
最初、メノンは「徳」について「知っているつもりの状態」だった。一方で、最初から「知らない状態」のソクラテスに触れた後、メノンは「知らない状態」に陥ったのだと述べる。
こうして二人は「知らないことを、そのとおり知らないと思っている状態」に至る──この状態を「不知の自覚」と言う。¹⁵
注目したいのは、二人の対話がアポリアに辿り着いたからといって、ソクラテスはそれを決してゴールだと考えていなかったことである。ソクラテスにとって重要だったのは、真理に向かうことそのものである。アポリアはむしろ、そのためのはじまりだと考えていた。つまり、アポリアは行き止まりの壁ではなく、通過点であり、探求の再スタート地点だったのである。

産婆術で、産む力を支える
では、「途方にくれる」ようなアポリアを経てなお、いかにソクラテスは探求を続けたのか。
『メノン』においては、その後、メノンの召使いが登場する。ソクラテスは何も教えず、質問を繰り返す。すると、召使いは自らで答えを生み出していく。相手の内側にあるものを信じて、それを生むことを支える。ソクラテスは自身のこうした関わり方を「マイエウティケー(産婆術)」だと語っている。
以下は『テアイテトス』というプラトンの著作の中で、ソクラテスとテアイテトスが「知識とは何か」について対話している場面である。テアイテトスがアポリアに陥り、「自分でも、自分の言うことが充分なものになっているという自信はもてません」¹⁶と自信を喪失している中、ソクラテスはこう言う。
ほら、それがすなわち君の陣痛というわけなのだ、愛するテアイテトス、君が空でなくって、何か産むものをお腹にもっているから起こることなのだ。¹⁷
つまり、行き詰まりは一つの陣痛であり、産みの苦しみでもある。そして、ソクラテスは、母親が産婆であることを引き合いに出しながら、自分にも産婆の心得があると言う。そして、産婆の仕事を列挙する。
実際また産婆たちの手でできる仕事には、ちょっとした投薬をしたり、唱えごとをしたりして陣痛を起こすことがあり、またその必要を認める場合には、これを和らげることもあるのではないか。¹⁸
確かに、ソクラテスの実践の様子を見ると産婆に近いものを感じる。問うことは陣痛を引き起こす投薬のようだ。また、ソクラテスは表現に窮するテアイテトスに対して、痛みを和らげようとするかのように、「君はできるはずなんだから」と励ます。
すると、テアイテトスもその励ましに応えて、言葉を生み出そうとする。¹⁹ そうした関わり方を通じて、ソクラテスは、相手が自らの力で知識を産み出すことを支えているのである。
こうしたソクラテスの姿勢から、対話における信じて待つということ、そして、必要なタイミングで、適切な介入をすることの大切さを受け取れる。

アポリアをくぐる対話:論駁から産婆術へ
さて、ここまでの話を引き受けて、ソクラテスの対話観を私なりにまとめると、
- エレンコス|論駁
- アポリア|行き詰まり
- マイエウティケー|産婆術
の三段階で描くことができるのではないだろうか。
ちなみに予め断っておくと、プラトンの著作に依拠するならば、最後に「マイエウティケー」を置くことは、思い切った論理操作に感じる方もいるかもしれない。なぜならば、対話篇に収録されたエピソードの多くは、「アポリア」に陥ったまま終わってしまうからである。
しかし、現実では「アポリア」のままでは済まされないことも多い。例えば、ランチのお店に悩み、行き詰まったとしても、行き先を決めなければ、ご飯は食べられない。対話篇に終わりはあるが、現実世界は続く。行き詰まった後、そこからどう抜け出すのか。それを考える必要があるだろう。
だからこそ、私は最後に「マイエウティケー」を置くことを提案したい。まさに行き詰まりや困難な状況から抜け出し、新しい知を産出する営みこそが「マイエウティケー」だからである。改めて、順を追ってまとめてみよう。まず、ソクラテスの対話は「エレンコス(論駁)」から始まる。はじめ相手は「知っているつもりの状態」にいる。しかし、ソクラテスとの問答を通して、矛盾が露呈し、「知らない状態」に陥る。
こうして、二段階目の「アポリア(行き詰まり)」に行き着く。しかし、ソクラテスの対話は、ここで終わらない。「不知の自覚」は「探求の再スタート地点」であり、ここでは「探求を諦めない姿勢」が試される。
そこから、諦めずに探求しながら、新しい知を産出する手段こそが、最終段階の「マイエウティケー(産婆術)」になる。産婆のように、子が生まれることを信じて待ち、本人の産む力を支える。
その先で、新たな知が産出されるのだ。ここで、私なりに着目したい動きは、最後の場面、子は狭い困難な産道をくぐり抜けて生まれてくる、ということである。
ソクラテスの対話は、あえて「アポリア」を目指す。そして、辿り着いたその地点こそが分水嶺だ。探求を続けるのか、諦めるのか。もし続けるならば、最後の最後に、狭い産道をくぐらなければならない。これまで背負ってきた固定観念を捨てて、身軽になってこそ、最後の難関をくぐることができる。
この時の「くぐり抜ける感覚」をニュアンスとして残すために、私は「ソクラテスの対話」を三段階に分けて、「アポリアをくぐる対話」と呼んでみたい。陣痛や産道という名のアポリアをくぐり抜けてこそ、新たな知が生まれるのである。

「アポリアをくぐる対話」はどう活きるのか?
さて、このように整理した「アポリアをくぐる対話」は、現代を生きる私たちにどう活きるのか。最後に、その視点を三つ提示したい。
一つ目が「行き詰まりを失敗ではなく、前進の証として捉え直すこと」である。
通常、意見がぶつかり、話が行き詰まる瞬間は避けたいものだ。しかし、ソクラテスの姿勢に倣うならば、矛盾とは「あらゆる意見を出し尽くした証」であり、「真理に近づいているしるし」でもある。
行き詰まった瞬間こそ、問いが深まり、新たな地平が開かれる可能性が高まる──その共通認識を持つことができたら、場の空気は大きく変わるはずだ。「もう話せない」ではなく、むしろ「ここからが探求のはじまりだ」と見なす。ファシリテーターが率先して「アポリア=新しい可能性が生まれてくる予兆」という認識を広げていくことで、組織やチームの中に「アポリア歓迎の文化」が生まれることもあるかもしれない。
二つ目が「アポリアという答えのでない事態に耐えることで獲得される、探求を諦めない姿勢」である。
近年、「ネガティブ・ケイパビリティ」というキーワードが注目されている。この言葉は「答えのでない事態に耐える力」²⁰ や「物事を宙づりにしたまま抱えておく力」²¹などの意味だが、複雑で不確かな現実に向き合うために重要視されている。探求を諦めず、アポリアと向き合い続ける経験を積むことは、ネガティブ・ケイパビリティを鍛える可能性がある。
とは言え、アポリアに留まり続けるのは苦しい。早く答えを出したいけど、出ないからだ。そんな時は、焦っても仕方がない。だから、単純に「休憩」を挟むのも手かもしれないし、その議題は寝かして、他の議題に移るのも有効だろう。
例えば、民俗学者・宮本常一の『忘れられた日本人』の中には「寄り合い」の様子が描かれているが、すぐに決まらない案件については、寝かしておく方法が取られている。時間を置くことで、折り合い²² がつくこともある。また、他が決まることで、その関係から決まることもあるだろう。
三つ目は「産婆術としての、他者への関わり方」である。
アポリアを「産みの苦しみ」として捉えたならば、私たちに必要なのは、その出産を支援する関わり、すなわち「マイエウティケー(産婆術)」である。これは、現代における「ファシリテーション」の本質を思い出させてくれる。
重要なのは、答えを教えることではない。ソクラテスがそうであったように、ファシリテーターはあくまで相手が「自らの力で知識を産み出すこと」を支える存在である。知の出産は助けるが、代わりには産まない。相手の内にあるものを信じて待つ。問いを投げかけ、時に励まし、相手の「知の出産」に伴走するのである。
そして、ソクラテスは新たな知の出産のために、よく「問い」に戻る。行き詰まった時こそ、今明らかにしようとしていることの「本質的な問い」に戻ることは、アポリアを抜けるためには重要である。この視点は、私たちの日常でも役に立つだろう。
また、問いに戻った後は、必ずと言っていいほど、ソクラテスは「それでは、もういちど最初から答えてくれたまえ」²³ などと言う。対話を続けていくと、お互いの意見や気持ちが少しずつ変容していくこともあるが、だからこそ、常に「今、どう思うのか?」を再確認し、「言い直しの機会」を与えることは、非常に重要である。
さて、ここでは実践に向けた三つの視点を紹介したが、改めて「ソクラテスの対話観」の真骨頂は、やはり「アポリア(行き詰まり)」の局面に違いない。
意見が尽き、言葉が止まり、先が見えなくなったその場所で、対話は終わるのではない。むしろ、そのアポリアの場所でこそ、思考が深まり、新たな地平が開かれるのである。
「アポリアをくぐる対話」とは、 答えのない場所で立ち尽くすことではない。それは、 行き詰まっても、決して諦めず、希望を捨てず、問いとともに、その先へ進もうとする態度、そのものなのだ。
あとがき
書き出しで告白したように、私はこれまでソクラテスを、避けたい存在として見ていた。掴み切れなさを感じていたからだ。しかし、「アポリア」という言葉を手がかりに、一歩ずつ探求を進めていくことで、見えてきた景色があった。
実は、途中、何度も行き詰まった。編集者からの率直で的を射たフィードバックに揺さぶられ、壁にぶつかり、途方に暮れ、筆も止まった。しばらく原稿を寝かせてみることもあった。でも、探求はやめなかった。
そうする中で、何度も書き直して生まれてきたのが、本稿だ。改めて、振り返ってみると、「ソクラテスの対話観」を案内する回にしては、ふさわしいプロセスだったのかもしれない。私自身が、アポリアに陥り、それをくぐってきたのだから。
今では、ソクラテスは「避けたい存在」ではない。共に「わからなさ」の前で立ち尽くしながら、決して探求を諦めない「共同探求者」である。
ソクラテスは、ただ相手を打ち負かしたかったのではない。彼自身もまた、真理の前で立ち尽くし、悩みもがいていた一人の人間だった。その不器用なまでの実直さが、あの「アブ」のようなしつこさであり、同時に、産みの苦しみに寄り添う「産婆」の優しさでもあったのだろう。
これから先、私もたくさんの行き詰まりに出くわすだろうが、その度に、ソクラテスを思い出したいと思う。アポリアをくぐり抜けた先に待っている、まだ見ぬ景色を信じて、厄介だが愛すべきこの哲学者とともに、私は対話を続けたい。
- ¹ 田中伸司『対話とアポリア——ソクラテスの探求の論理——』知泉書館, 2006
- ² 同上, 3頁
- ³ 柄谷行人『哲学の起源』岩波書店, 2012, 199–200頁
- ⁴ 同上, 200頁
- ⁵ 「プラトンが描いたソクラテス像」が「実際のソクラテス」とは異なっているとしても、「プラトンが描いたソクラテス像」から多くのことを学べること、また、文献や資料が多いことから、本稿では「プラトンが描いたソクラテスの対話」を描いていく。
- ⁶ プラトン『ソクラテスの弁明』納富信留訳, 光文社, 2012, 65頁
- ⁷ 例えば、納富信留『ギリシャ哲学史』(筑摩書房, 2021, 381頁)でも、ソクラテスの対話の形式の特徴は論駁であるとされている。
- ⁸ 京野哲也『ソクラテスの「対話」はどこにあるのか ― その論駁の方法を考察する』臨床法務研究, 2025-03, 26巻, 岡山大学大学院法務研究科, 33頁
- ⁹ プラトン『ゴルギアス』加来彰俊訳, 岩波書店, 1967, 57-58頁
- ¹⁰ 同上, 47頁
- ¹¹ 同上(田中伸司, 前掲載(1), 6頁)
- ¹² プラトン『メノン』藤澤令夫訳, 岩波書店, 1994, 42頁
- ¹³ 同上, 42-43頁
- ¹⁴ 同上, 44-45頁
- ¹⁵ ちなみに、長らく教科書などで教えられてきた「無知の知」という用語は大いなる誤解であったことが、哲学者・納富信留の著書『哲学の誕生——ソクラテスとは何者か』の中で指摘されている。そもそも原文では「無知の知」というフレーズは一切登場しない。「無知の知」と表現する場合、それが最終的に「知」である以上、「知らないということを、私は知っている!」(だから、偉いだろう!)という傲慢なニュアンスにもなってしまう。 しかし、実際にソクラテスが言っていた言葉は「知らないことを、そのとおり知らないと思っている」だった。つまり、「知っている」と「思っている」の違い。「不知」を一つの「高次の知」に仕立てて、「知」を振りかざすのか。あるいは、ただ「不知」を「自覚」している状態に留まるのか。ソクラテスは後者の立場だった。だからこそ、「無知の知」は誤解であり、納富は「不知の自覚」と強く言い直しているのである。
- ¹⁶ プラトン『テアイテトス』田中美知太郎訳, 岩波書店, 2014(改版第1刷発行), 32頁
- ¹⁷ 同上, 33頁
- ¹⁸ 同上, 35頁
- ¹⁹ 同上, 42頁
- ²⁰ 帚木蓬生『ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力』朝日新聞出版, 2017
- ²¹ 谷川嘉浩・朱喜哲・杉谷和哉『ネガティヴ・ケイパビリティで生きる―答えを急がず立ち止まる力』さくら舎, 2023, 2頁
- ²² 哲学者の内山節によると、「折り合い」の語源は「居(お)り合い」だという。異なる意見を持つ者同士が、異なりながらも一緒に「居る」ことができるようにすること、それが本来の「折り合い」であった。もともと日本には「妥協」という言葉も存在しない。つまり、話し合いにおいて大切なのは、「折れる」ことではなく、一緒に「居られる」ことなのである。(2025年11月9日の「哲学者・内山節先生の寺子屋」での話からの引用)
- ²³ 同上(プラトン, 前掲載(12), 42頁)
【お知らせ】本連載の連動企画として「対話」を哲学と実践の両面から問い直す動画シリーズ『対話を巡る対話』が公開中。ゲストは哲学研究者の佐々木晃也さん。20世紀の思想家たちの対話観を手がかりに、他者との関係性の中で生まれる複雑な問題への向き合い方を探ります。





